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11月18日の石切り・日下の晩秋満喫文学散歩-1

11月21日    11月18日の石切り・日下の晩秋満喫文学散歩-1
                 近鉄 駅フリーハイキング
あみま倶楽部の近鉄 駅フリーハイキングに知人と2人で参加、今日は秋の
ハイキング日和、暑くも無く寒くも無く、秋の陽射しの中を気持ち良く歩けた。
コース 近鉄駅フリーハイキング 石切り駅北口受付9時半~11時
石切駅北口(受付)~孔舎衛坂駅跡(くさえさかえきあと)~大龍禅寺~旧川
澄家~日下公園~日下リージョンセンター~石切つるぎや神社~楠木正行
(くすのきまさつら=小楠公)の首塚~重願寺~額田駅(ゴール)
額田駅から1駅の枚岡駅迄行き、枚岡神社へお詣りして知人と解散にした。
此の日の私の万歩計は、20200歩で約13.6km歩いた事に・・・
志都美駅
ホーム横のセイタカアワダチソウ
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王寺駅で近鉄生駒線に乗り換え
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生駒で尼崎行に乗り換えあ石切駅へ
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石切駅北口出受付・ハイキングスタート
孔舎衛坂駅跡(くさえさかえきあと)
孔舎衛坂駅(くさえざかえき)は新生駒トンネル開通時まで大阪府東大阪市(営業
当時は枚岡市)にあった近鉄奈良線の駅。石切-近畿日本生駒(現・生駒)間の生駒
トンネル大阪方坑口に位置していた。
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※駅名の由来
『日本書紀』の神武東征伝説で、神武天皇が生駒山の豪族・長髄彦と刃を交えた峠
「孔舎衛坂」に比定される尾根が近くにあることによる。駅名改称のあった1940年は
皇紀2600年にあたり、各地で「紀元二千六百年記念事業」が行われるとともに、神
武東征の跡地が文部省によって調査・比定された。それを記念しての改名である。

大龍善寺へ向かう
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大龍禅寺
当山の縁起は598年(推古6年)聖徳太子が自作の観音像を安置、創建したと伝わ
る。古くは厳松寺 (げんしょうじ)と称していた。南北朝の時代には後醍醐天皇より、
若干の寺田が寄進され、足利尊氏や足利義満よりも寄進を受けるなどした。応仁の
乱の戦火で堂宇が焼失しその後再興されたが、大坂の陣で再び烏有に帰した。江
戸時代に入り、1626年(寛永5年)観音堂が建立されたが、住持はなく村中支配で
あった。1681年(元和元年)に京都・南禅寺派光雲寺の末寺となり、その後1685
年(貞享2年)黄檗の僧別伝が住持となり万福寺末寺となった。1686年(貞享3年)
夏、旱魃が続いたため、黄檗の高僧、奉宗元雄禅師が雨乞いをしたところ、たちまち
雨が降り大龍が宮中に現れたというところから寺号を大龍寺と改めたと伝わる。俗に
『日下のくわんのん』と称し、十一面観音を本尊として村人の尊崇をあつめていたが、
泰宗禅師が大阪の豪商天王寺屋吉兵衛を大檀那としてその浄財寄捨によって堂宇
を再建、泰宗はその師法雲寺(堺市美原町)開山の慧極道明(えごくどうめい)禅師を
請じて開堂し、自ら第二世となった。棟札により現伽藍は1695~1700年(元禄8~
13年)にかけての建立と判明している。
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旧川澄家へ向かう、皇帝ダリアの季節
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旧川澄家
南北朝時代の応安二年(1369年)に入滅した日下連(くさかむらじ)河澄与市大戸清正
に遡り、江戸時代には代々作兵衛を名乗り、日下村の庄屋を務めた旧家です。長きに
わたるその歴史の中で、文学に親しみ、地域の発展に貢献し、河澄家からも秀でた人
物を輩出しました。第15代当主・常之は国文学者 上田秋成 と親交があり、秋成の随
筆『山霧記』にも河澄家を訪れたことが記されています。 第19代当主・雄次郎は教育に
熱心で、小学校設立に私財を投じて尽力しました。その雄次郎の孫に当たる、タカは明
星派の歌人「石上露子」として活躍したとの記録があります。3棟の建物と主庭、裏庭、
「日下のかや」として東大阪市の天然記念物に指定されたカヤの木を敷地内に有しま
す。主庭の東隅にある常緑針葉樹の大木であるかやの木は雄雌異株であり、本樹は
雌株です。4~5月に花が咲き、秋には2~4cmの紫褐色の実がなります。 実は食用や
油として利用されます。 旧河澄家の「かやの木」は幹周り約5mあり、樹齢は約500年
と推定されており、昭和51年に「日下のかや」として東大阪市の天然記念物に指定され
ています。
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   かやの大木&かやの子&ぎんなん
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日下公園へ向かう
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日下公園
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此の続きは、
11月18日の石切り・日下の晩秋満喫文学散歩-2 として
            下記のメインブログへ詳細を投稿します。
           http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、日下リージョンセンター(トイレ休憩)~
石切つるぎや神社
祭神
饒速日尊(にぎはやひのみこと)、可美真手命(うましまでのみこと):饒速日尊の御子。
「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれ、本殿前と神社入り口にある百度
石の間を行き来するお百度参りが全国的に有名。創建年代は、火災により社殿及び宝
庫が悉く消失したため詳らかではないが、代々の社家「木積」家には、皇紀2年に生駒
山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを神社の起源とし、崇神天皇の
御世に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わる。現在確認できる文献では、日本三
代実録(巻十一)に「貞観7年9月22日に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」
との記述がみられ、延喜式神名帳にも「石切劔箭命神社二座」とみられる。宮山の地に
あった祭祀の場は、いつの頃か現上之社の場所に遷され、さらに明治38年には現在の
本社本殿に合祀された。その後も、上之社のあった土地は、奥の院として信仰を集め、
いよいよ再興の気運が高まり、昭和7年に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に
移し、昭和47年に往古の姿を取り戻した。「石切大明神」と総称される。
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石切参道商店街
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石切大仏
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石切東公園(昼食休憩)
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重願寺へむかう
大石大明神(【大石神社・おおいしじんじゃ)
近鉄奈良線の額田駅から「七尾の滝」を経て生駒山頂に向かう谷川沿いの道にあります。
鳥居には「大石大明神」と彫られており、御神体と思われる大きな石の前には「大石明神」
という額がかけられています。更に奥へ行くと「天命地蔵尊」があり、その横の建物には「神
道大石教会本部」と彫られた石柱が立てかけられています。谷川沿いにあるこの境内は広
くありませんが、石造物は数多くあります。
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重願寺(旧不動寺)
不動寺は長尾寺とも言われ、平安時代の初め額田の豪族高内皆人(たかうちみなんど)
が創建したと伝えられる。 慈雲尊者はその子孫の高内秀有よりこの寺を譲り受け、175
8年(宝暦8年)41歳のとき、高野山の真源の依頼を受け、『南海寄帰伝』の訳注にあた
った。この寺は現在は重願寺というお寺になっており、その境内に慈雲尊者が双龍庵で
揮毫し、不動寺の境内に建てられた歌碑が残されている。
重願寺(じゅうがんじ)は文禄年間(1592~1595年)の創建
ひっそりとして、小さくまとまった美しい寺だ。寺内には五世桂文枝が建てた桂塚がある。
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    山門から遠くにあべのハルカスが・・・
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額田駅(ゴール)
楠木正行(まさつら)の首塚を見逃してしまった・・・
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枚岡駅へ向かう
枚岡駅
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枚岡神社
枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は、大阪府東大阪市出雲井町にある神社。式内社(名神
大社)、河内国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「下
がり藤」。春日大社への勧請元のため、「元春日」の別称がある。
枚岡梅林はかおり風景100選の一つとされる。鳥居から坂を上り、46段ほどの階段を登
ると拝殿に着く。嘉永6年(1853年)に駅前に建てられた社名標には「元春日平岡大社」
とあり「平岡」の表記や大社号が使われていたとわかる。
一の鳥居は神社からは線路の向こう側となる枚岡駅の西側にある。駅から少し登ったと
ころに二の鳥居がある。二の鳥居脇の社名標は明治40年(1907年)に日露戦争戦勝を
記念したもので、三条実美の書物から字を拾った。
祭神
天児屋根大神・比売大神が本来の祭神で、当社から春日大社に勧請されたので「元春日
社」とされる。後に春日大社から武甕槌大神・斎主大神を勧請し、同社と同じ神(春日神)
を祀った。
社伝によれば、初代神武天皇即位前3年、神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命(あ
めのたねこのみこと)が、天皇の命で神津岳の頂に祖神の天児屋根神を祀ったのが創建
とされる。「平岡(枚岡)」の社名は神津岳の頂が平らだったのによる。中臣氏の支流の平
岡連(ひらおかのむらじ)の氏神とされた。白雉2年(650年)、平岡連によって山頂から中
腹の現在地に移された。山頂には現在も奥宮がある。
神護景雲2年(768年)には奈良の春日大社に祭神二柱を分祀し、宝亀9年(778年)には
春日大社から武甕槌命と斎主命の二神の分霊を奉斎したという。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では河内国河内郡に「枚岡神社四座 並名神大
月次相嘗新嘗」と記載され、4座が名神大社に列するとともに、朝廷の月次祭・相嘗祭・新
嘗祭では幣帛に預かる旨が記されている。
明治維新後、明治4年(1871年)に近代社格制度において官幣大社に列した。
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   狛犬の変わりに女鹿と牡鹿
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おまけ
自宅の近くへ戻って
マキの実&皇帝ダリア
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