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2月19日の酒蔵みてある記 長龍酒造「長龍」・大和高田駅-1

2月21日    2月19日の酒蔵みてある記 長龍酒造「長龍」・大和高田駅-1
                 近鉄 駅フリーハイキング 歩程約11㎞
知人と3人で参加の予定だったが、1人風邪でダウンし2人での参加となった、少し
北風が吹いてたが気にならない暖かい良い天気に恵まれて楽しいハイキングだった。
コース 近鉄 駅フリーハイキング 大和高田駅10時~11時  
大和高田駅~池尻天満宮~十二社神社~高龍神社~広陵公園~新三木山古墳~
三吉石塚古墳~竹取公園(昼食)~馬見丘陵公園~長龍酒造・甘酒・試飲・抽選会~
馬見丘陵公園~2人で(1.3km)池部駅 近鉄田原本線 池部駅 →新王寺へ戻った。
此の日の参加者は、1311人。私の万歩計は、23378歩で約15.9km歩いたことに・・・
志都美駅へ向かう
西名阪自動車道の高架
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志都美駅
葛城山~二上山&二上山アップ?
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JR高田駅から歩いて受付場所へ
大和高田駅前には既に長蛇の列が・・・
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池尻天満宮
池尻環濠集落の東南にあり、創建由緒などは不詳ですが、元禄12年に焼失、享保
(きょうほう)5年に再建されています。境内北側に地蔵堂があり、南側には慶応2年の
刻銘がある役行者の石造が有ります。
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※池尻環濠集落
縄文から弥生時代は、高田川・葛城川の周辺地域は、水田の耕作に適した地域で
あったと考えられる。中世には、多くの環濠集落が形成されました。とくに、大和平野
の中心部には濠(堀)に囲まれた集落が多い。水利と村落防衛のために造られたと
考えられる。大和高田市内にも多くの環濠集落が残っているが、水利の変遷や住宅
開発などにより姿を消しつつある。池尻環濠集落や藤森環濠集落が残っている。
中世、大和高田市一帯は「葛下郡」とよばれ、二千町歩を超える奈良興福寺一乗院
平田荘の荘内にありました。室町時代には、当麻高田氏によって「高田城」が築城さ
れます(伝・1432年)。1580年、織田信長の破城令によって取り壊されるまで、約150
年のあいだ大和武士としての勢力をふるいました。当時の高田城は絵図から約二町
四方の広さで、正面を西に開き、東を搦め手として堀の中に二重の城壁で囲まれた
平城であったとされます。

十二社神社へ向かう、二上山
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藤森環濠・十二社神社
十二社神社
藤森環濠集落南西部の古木の茂みに囲まれた所にあり、創祀(そうし)年代は不明です。
かつて藤森集落は多武峰社領で当村産の米を談山神社に収納していたそうです。本殿
も談山神社から移されたと伝えられます。
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高龍神社(くらおおかみじんじゃ)
藤森集落の東側にあり、十二社神社に対して東の宮とも言うそうです。古来道路南側の
吉村家の醸造用水守護の神として祀られて来ましたが、後年藤森の宮として移管され、
十二社神社の末社とされたようです。竜王神社とも呼ばれていたようです。
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高田川沿いの自転車・歩行者専用道路を広陵公園へ向かう、二上山
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※二上山(にじょうざん)
奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山。かつては大和言葉による読みで
「ふたかみやま」と呼ばれた。
金剛山地北部に位置し、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂がある
双耳峰である。 また、石器に使われた讃岐岩(サヌカイト)の産地である。二上山の北側
の春日山付近の地域で遺跡が多く発見されていることから二上山北麓遺跡群とも呼称さ
れている。後期旧石器時代から弥生時代にかけての多量の剥片・砕片・石核・くさび形石
器・敲石類が採集されており、遺構としての採掘坑も確認されている。大阪みどりの百選
に選定されている。

広陵公園(トイレ休憩)、広陵町へ入りました
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新三木山古墳の横を通り、三吉石塚古墳へ到着です・・・
三吉石塚古墳(みつよしいしずかこふん)・・・県指定史跡
新木山古墳の西に築かれた東向きの帆立貝式古墳で、墳丘全長45m、直径41.4m、
高さ6.5mの後円部に幅22m、長さ7mの短い前方部が付いています。周囲に馬蹄形
(ばていかた)の周濠が掘られ、さらに外堤があり、堤を含めた全長は62mとなります。
墳丘は二段築成で、二段目には円筒埴輪の他に蓋(きぬがさ)、短甲(たんこう)、家形
埴輪が立てられていた。墳丘と周濠には葺石が施され、葺石の作業単位が良く残る。
前方部の南東隅には張出部が設けられ、周濠幅が狭くなっている。埋葬施設は未調査
で、埴輪から古墳時代中期後葉の築造と考えられています。
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新三木山古墳の環濠、一部分残っている
※新木山(にきやま)古墳 (陵墓参考地)
馬見古墳群で中核をなす墳丘200mの前方後円墳である。古墳の築造時期は円筒埴輪
から古墳時代中期後葉と考えられる。埋葬施設の副葬品と考えられる勾玉(まがたま)、
管玉(くだだま)、棗玉(なつめだま)が宮内庁に保管されている。
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竹取公園(昼食)を終えて馬見丘陵公園へ、折角なので梅林へ
馬見丘陵公園
大和平野の粗中央にある馬見丘陵は、我が国でも有数の古墳が集中している地域です。
これ等の古代の遺跡を包み込む様に、豊かな自然が広がっています。馬見丘陵公園は、
こうした歴史と文化の遺産や素晴らしい自然環境を、憩いの空間として広く活用して頂く
事を目的に整備された都市公園です。園内は、緑道エリア・北エリア・中央エリア・南エリ
アと大きく4つに分かれており、北エリアと中央エリアは離れていますが連絡道があるの
で、行き来する事が出来ます。馬見古墳群内に位置する公園の為、園内には多数の古
墳が存在します。

馬見丘陵公園・梅林
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此の続きは、
2月19日の酒蔵みてある記 長龍酒造「長龍」・大和高田駅-2 として
           下記のメインブログへ詳細を投稿します。
          http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、梅林の途中~
梅林
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梅林から・倉塚古墳・下池・菖蒲園とカタビ古墳群から・バラ園を通り
倉塚古墳(スベリ山古墳)
墳丘:前方後円墳、全長180m、後円部径106m、高さ12m, 前方部幅70m。前方部
を東に向ける。墳丘の東北部に周濠状の地形あり。埋葬施設:不明。出土遺物:不明。
築造年代:不明。発掘調査:未。被葬者:不明
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下池
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菖蒲園の向こうは古墳の丘(カタビ古墳群)
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※カタビ古墳群
馬見丘陵公園造成に先立つ発掘調査で4基の古墳が確認されました。1号墳(方墳)
と3号墳(円墳)は大型古墳が盛んに築造された5世紀代に造られたもので、2号墳
(円墳)と4号墳はほとんど古墳が築かれなくなった7世紀代の古墳です。

トンネルを潜って北エリア、・集いの丘~・馬見花苑を
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池上古墳側へ陸橋を渡り国道寺戸交差点へ
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※池上古墳
帆立貝式古墳・墳長92 m・5世紀前半・国史跡。溜池のほとりを西に入ると
馬見丘陵公園の出入口があります。中に入ると古墳説明看板があり、古墳
のぐるりを一周できます。墳丘は外堤に囲まれ、後円部は二段築成で、中段
テラスや墳丘裾などに円筒埴輪列が巡っていました。

高田川を渡って高田川沿いを
長龍酒造へ向かう
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長龍酒造
・甘酒・試飲・抽選会
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2人で馬見丘陵公園へ
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馬見丘陵公園へ戻り、集いの丘から
馬見丘陵公園を端から端迄(直線距離で約3km)歩いた事に・・・
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馬見丘陵公園内を1.3km歩いて川合町からの入口へ
川合町役場の庭が綺麗?
河合町役場の敷地は、もともと「豆山荘」(まめやまそう)と呼ばれる邸宅地であり、
日本庭園(池泉回遊式庭園)がある。役場の正門は大正時代に建築された木製
瓦葺の屋敷門で、「河合町役場」と墨書された木の看板がかけられており、門の
両脇には阿吽一対のライオンのレリーフを施した石が配置されている。門から庁
舎まではゆるやかな上り坂となっており、庭園を通って庁舎に入ることになる。
「町役場の門とは思えない」光景はメディアにしばしば取り上げられ、また町の側
もその珍しさを自任している。『河合町史』には「全国でも珍しい存在」との記載が
あり、町が選定した人気のある名所「河合八景」の一つにも「役場の古い門」が選
ばれている。
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※豆山荘
田原本線の前身となった鉄道を敷設した大和鉄道の創業者・森本千吉によって、
大正時代(阿吽のライオンには大正12年(1923年)の文字が刻まれている)に作ら
れた邸宅である。
池部駅へ
池部駅 →新王寺駅~JR王寺駅へ
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