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2月16日の司馬遼太郎が暮らした東大阪の街歩き-1

2月20日      2月16日の司馬遼太郎が暮らした東大阪の街歩き-1
   近鉄駅フリーハイキング
今回は知人と3人で参加、ハイキングの後で通天閣下の風呂に入って15時~17時
で昼飲み会を設定して有るのでハイキングを急ぎ足ですませてラジウム温泉へ・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング 河内小阪駅 受付9時半~11時
河内小阪駅(受付)~アーケード商店街~司馬遼太郎記念館~彌栄神社~八戸の里
公園~若江城址碑~若江鏡神社~蓮城寺~木村重成の墓~山口重信の墓~福万
寺市民運動公園~恩智川治水緑地~池島弥生橋~東花園駅~花園ラグビー場(昼
食)~東花園駅~新今宮駅~ジャンジャン横丁~通天閣~ラジウム温泉~天王寺公
園~天王寺駅(合流)7人で昼飲み会~2次会は4人でカラオケへ、楽しい一日でした。
此の日の私の万歩計は、24929歩で約16.7km歩いたことに・・・・
志都美駅へ向かう
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葛下川
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西名阪自動車道の高架
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志都美駅で葛城山~二上山を撮る
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久宝寺駅でおおさか東線に乗り換え
河内永和で近鉄奈良線に乗り換え、ホームで色んな電車、阪神電車も
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河内小阪駅へ
河内小阪駅で受付、知人と合流してアーケード商店街へ
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司馬遼太郎記念館へ向かう
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司馬遼太郎記念館
司馬遼太郎の生家と建築家安藤忠雄氏設計による建物で構成されています。安藤
氏は「蔵書で囲まれて闇に包みこまれたような、かすかな光の空間のイメージ」を原
点に、周辺の環境とも調和するように設計されました。館内は高さ11mの吹き抜け
空間に大書架が広がり、約2万冊蔵書をイメージ展示しています。
入館料:大人・大学生500円のところ今回のハイキングマップ提示で2割引(400円)
※司馬遼太郎(しば りょうたろう)
1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノン
フィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。筆名の由来は「司馬
遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送
る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、
戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイ
などでも活発な文明批評を行った。
。。。。。1962年(昭和37年)より『竜馬がゆく』『燃えよ剣』、1963年(昭和38年)より
『国盗り物語』を連載し、歴史小説家として旺盛な活動を本格化させた。
記念館の庭で
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彌栄神社・いやさかじんじゃ(通称やえじんじゃ)
祭  神:素盞嗚命、天穂日命  境内末社に弥栄稲荷神社がある。
創建年代は不詳も明治以前は、牛頭天王宮あるいは祇園様と称せられた
鎮座地は、旧大和川の枝流、久宝寺川の東岸近くに位置し、鬱蒼とした老杉・松・樅
林の中に祀られていたが、天正年間(1573~1591)の天正の役・石山合戦の際、村
落共に兵火により灰燼に帰した。のち慶長五年(1600)正月、時の領主、片桐且元
により社地を拝領、社殿を再建復興したという。元禄時代の当社寺社御改帳に記載
された寸法、様式、絵模様から現存の本殿はこの時代のものとすいさつされるという。
(彌榮神社由緒より)
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八戸の里公園~若江城址碑
※八戸の里公園
この付近は昔から浸水が多かったので、その対策として公園の地かには調整池を
作り、大雨の時には一時的に雨水を貯留し下水道や河川へ雨水が一挙に流れ込
む事を防いでいます。
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若江城址碑
若江城は、1382年 畠山基国によって築かれ、国を治める為の守護所(役所)とした
大きな城であり、城下町も存在したと思われますが、石山合戦が終了した直後の
1580年に廃城となりました。府道を挟んで、北側に若江城址の碑、南側には楠の巨
木の元に「社」と刻んだ巨石などがあり、この付近を中心とした南北400m、東西300
m位の範囲が若江城跡です。
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若江鏡神社
延喜式に乗せられている古社で、代々若江城主が崇敬し、社領を寄進していたとい
われ、若江城の廃城と同じくして織田信長により没収されたといわれています。
北隣には木村重成の位牌が祀られている連城寺が有ります。
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蓮城寺・・・妙法山 蓮城寺(みょうほうざん れんじょうじ)
木村重成の本陣が置かれていた地には、現在、蓮城寺が建っており、その境内
には重成の肖像画を安置した位牌堂も存在します。
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第二寝屋川を渡る
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此の続きは、
2月16日の司馬遼太郎が暮らした東大阪の街歩き-2 として
            下記のメインブログへ詳細を投稿致しました。
         http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-02-20-1
続きは、木村重成の墓~
木村重成の墓
母親が豊臣秀頼の乳母であったことから、重成は幼少時より秀頼の小姓として仕えて
いたとされます。夏の陣にさきがけておこなわれた冬の陣では今福砦の戦いで活躍し、
その武勇を全国にとどろかせています。当時、重成の本陣が置かれていた地には、現
在、蓮城寺が建っており、その境内には重成の肖像画を安置した位牌堂も存在します。
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第二寝屋川を渡って
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山口重信の墓
木村重成の墓と恩智川を挟んだ対岸には、山口重信の墓も残されています。重信は
井伊勢に参加していた東軍の武将。重信は旧領の回復を願って東軍に参戦していま
したが、若江の戦いで戦死。しかし、その死によって、重信の宿願は後にかなえられた
のでした。重信のお墓は、1647年、重信の三十三回忌に際して建てられました。両軍
の武将の墓が恩智川を挟んだ両岸に残されている点は当時の合戦の様子を伝えたも
のでもあり、東西両軍が激しい戦いを繰り広げた若江の戦いを象徴する構図である・・。
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福万寺市民運動公園~恩智川治水緑地~池島弥生橋
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恩智川治水緑地は、平常時には運動公園や公園、イベント会場として府民の方々
に利用していただき、大雨の時には河川からの洪水を一時貯留することにより浸水
被害を防止する施設です。
河内のムラ、池島・福万寺遺跡では、3500年前の縄文時代後期の人が使った土器に
はじまり、弥生時代・古墳時代のムラや水田、奈良時代から現代につづく水田など、
河内に住んだ人びとが作ったもの、使ったものがたくさんみつかっている。
本遺跡は、縄文時代晩期から江戸時代にかけての生産遺構が出土したことで知られ、
弥生時代の水田遺構、近代まで連綿と継続する農耕に伴う遺構、古墳時代の住居跡
などが検出されているほか、土器を中心とする各時代の遺物が見つかっている。
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恩智川沿いを東花園駅へ向かう
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東花園駅~花園ラグビー場(昼食)
ラグビーの聖地!「東大阪市花園ラグビー場」
大阪市花園ラグビー場は、日本最初のラグビー専用グラウンドとして開場しました。
全国高等学校ラグビーフットボール大会、ジャパンラグビートップリーグをはじめ
数多くの国際試合など、ラガーの檜舞台にふさわしい3万人収容のスタジアムです。
充実のプレーと快適な観戦をバックアップする設備が整っています。
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東花園駅~新今宮駅
ジャンジャン横丁~新世界~通天閣
ジャンジャン横丁(ジャンジャンよこちょう)は、大阪市浪速区恵美須東3丁目東部を
南北に貫く商店街。「ジャンジャン町」ともいう。新世界の南東部に位置しており、全
長約180m。アーケードはあるが、横幅は2.5mほどと非常に狭い。それが却って活
気を醸し出している。
「ジャンジャン横丁」は通称で、正式名称は「南陽通商店街」である。
1918年に開業した飛田遊廓(1958年廃業)と新世界をつなぐ道筋として1921年、橋
本傳三郎の尽力で開通した。当時の地名は橋本の出身地である島根県の旧国名に
因み「石見町」と称していた。開通当時は関西本線を地下道でくぐる計画であったが、
地元の反対にあい、踏切となった(紆余曲折の末、1923年ごろに地下道が開通)。
当時としては一級の歓楽街であった新世界と花街をつなぐルートだったため、多くの
酔客が出入りし、それを目当てに飲食店や男娼店、淫売店が急ごしらえで造られた。
当時は肩をよけないと通れないほどの雑踏が、軍艦内の通路に似ていることから
「軍艦横丁」と呼ばれていた。
戦前、商店街北側には、噴水を設置した円形浴場やサウナ風呂、演舞場、食堂などを
備えた「噴泉浴場」(通称・ラヂューム温泉)という総合娯楽施設があった。1945年の
大阪大空襲で焼失した後、1950年にストリップ主体の「温泉劇場」(通称・温劇)に業態
変更して復活。近隣の飛田遊廓へ向かう者やあいりん地区の労務者などが詰めかけ、
新世界名物として知られるようになった。
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ラジウム温泉
大阪府大阪市浪速区の新世界のど真ん中シンボル通天閣。通天閣の真下に、レトロ
な銭湯ラジウム温泉があります。創業以来62年営業を続けている老舗銭湯です。
広島県人形峠にあったラジウム鉱山の石を独自に入手して露天風呂に沈めています。
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風呂から出て
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天王寺公園~天王寺駅(合流)
甘太郎・・・7人で昼飲み会
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2次会は4人でカラオケ、ジャンカラへGO-、
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