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飛鳥稲渕の案山子三昧

10月13日      飛鳥稲渕の案山子三昧
          9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花
              近鉄駅フリーハイキング飛鳥駅~
此の日は知人と6人で参加、天気が良くてまだまだ暑い中でのハイキングだった・・・
長蛇の列を想定して10時過ぎて飛鳥駅に着いたがまだまだ長蛇の列、私で837人目、
知人を待つ間、まだまだ長蛇の列が続いていた・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング   飛鳥駅受付9時半~11時10分
飛鳥駅(受付)~文武天皇陵~朝風峠~稲渕棚田・案山子ロード~男綱~祝戸橋~
石舞台古墳地区(昼食)~石舞台古墳~橘寺~川原寺跡~亀石~鬼の雪隠~鬼の俎
~飛鳥周遊道路~猿石(吉備媛王)~欽明天皇陵~耳なほし地蔵~飛鳥駅
飛鳥駅~文武天皇陵へ向かう
此の日の私の万歩計は、22921歩で約15.1km歩いた事に・・・

今回は案山子だけを並べてみました、さて何体(何組)の案山子が有ったのか?
案山子だけです。
朝風峠の方から男綱の方へ下りながら撮り歩き・・・
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10月10日の馬見丘陵公園フラワーフェスタ-1

10月12日       10月10日の馬見丘陵公園フラワーフェスタ-1
                  朝の散歩に馬見フラワーフェスタ
馬見丘陵公園では、今年も10月7日~15日迄、馬見フラワーフェスタが開催され
ている。未だ観客の来ない?朝早い時間に家内と一緒に行ってみた・・・
9時を過ぎると観客も増えて来て、天気が良いせいか陽射しもきつくて真夏日に?
北エリアのダリア園と集いの丘のコスモス、トンネルを潜って花の道のコスモスと
バラ園のコスモス等一通り花の写真を撮って、暑くて暑くて早々に退散した・・・
花見茶屋の横からダリア園を目指す
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ダリア園は約120品種1000株の多彩なダリアが豪華な花を咲かせていた?未だ
ツボミも多いので此れからもっともっと咲く予感
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此の続きは、
10月10日の馬見丘陵公園フラワーフェスタ-2 として
         下記のメインブログへ詳細を投稿しました。
       http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-10-12
続きは、ダリア園の途中から
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馬見花苑の花々ニュウギニアインパンチョス
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集いの丘のコスモス
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トンネルを潜って花の道
此処はコスモスとニュウギニアインパンチョスやコルチカム
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バラ園も今はコスモス園に変わって
こんなに天気良い
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10月8日の秋風を感じ都会の中に有る癒しを求めて-1 

10月10日      10月8日の秋風を感じ都会の中に有る癒しを求めて-1
               近鉄駅フリーハイキング 歩程約9㎞
此の日は、知人と2人で参加、知人は1時からの映画を見たい、と言うことで12時半
に途中の玉造駅へ向かう、ここで別れて私はどんどろ大師以降のお寺を巡り、鶴橋
駅へ1時に到着、鶴橋駅の外回りホームに有る小さな店、アンドリューのエッグタルト
でショコラ2ヶとアップルティ2ヶを購入して帰宅、美味しかったマカオのお菓子・・・
アンドリュ-(安徳魯)・・・パッケージやしおりに澳門安徳魯餅店と書かれていた
欧州のお洒落なお菓子だと思ってたのが、中国の澳門の安徳魯餅店のお菓子・・・
此の日の私の万歩計は、17813歩で約11.8km歩いたことに、未だ未だ暑かった!
コース  近鉄駅フリーハイキング 鶴橋駅東口改札前受付9時半~11時
鶴橋駅東口改札前(受付・スタート)~産湯稲荷神社~天龍院~長安寺~西方寺~
生国魂神社~高津宮~難波宮跡~善福寺(どんどろ大師)~興徳寺~鶴橋駅の予
定だったが、コースを変え、天然寺、蓮生寺、藤次寺を入れ、難波宮跡を外して・・・
志都美駅
久し振りに駅迄あるいて
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JR鶴橋駅改札口~近鉄鶴橋駅東口へ
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産湯稲荷神社
当社は比売許曽神社の旧社地にあり、現在は御旅所で末社となっている。
現地に掲げられていた社記によると「当地の開拓神である大小橋命(おおおばせの
みこと)は天児屋根命の十三世の後胤で、13代成務天皇の御代(4世紀頃?)、こ
こ味原郷に誕生した。その時、境内の玉の井の水を汲んで産湯に用いたので、この
地を「産湯」という。 父は神功皇后の近臣中臣雷大臣、母は紀氏清夫と言い、3人
兄弟の長男である」としている。すなわち、大化の改新で活躍した藤原家の祖、中臣
鎌足の先祖に当る人である。 この誕生のときの胞衣を埋めたと伝わる胞衣塚が比
売許曽神社の近くにある。
また、一説では生野区にある御勝山は大小橋命の墓であるとも言われ、この地には
大小橋命に関わる伝承は多い。
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天龍院へ向かう
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天龍院
天龍院は天正14年(1586)に創建された浄土宗の寺院である。
木造十一面観音菩薩立像(もくぞうじゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう) 
本像は境内の観音堂に安置される等身大の像である。この像の制作年代は本院の
創建、天正14年(1586)よりはるかに遡り、伝来の過程は不明である。境内に別に堂
を設けてまつっていることから、周辺にあった古堂にまつられていた像を、客仏として
まつってきたのと思われる。市内に残る平安彫刻の中でも古様を残す事例である。
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女郎花
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天然寺・・・由緒あるお寺だった。今回のコースには無かったが何故か魅かれて
天然寺は潮待山と号し、もとは正覚院といい、1588年(天正16年)天延上人の開基。
此の天然寺にも菅原道真にまつわる伝説が残されていた。
901年(昌泰4年)右大臣菅原道真が時の左大臣藤原時平らの策謀で大宰府に左
遷されたおり、浪速津にて乗船の潮時をこの地で待つ間、自作の木像を作り、これを
残し船出をしたが、里人はこの跡を慕って、小社を営み、管公自作の像を祭ったと伝
わる。社殿は元は大坂城内の地にあったが、豊臣秀吉が大坂城築城の際、現在地
に還し祀ったという。
菅原道真が潮待ちのために滞在した地に祀られたため、古くは「潮待天満宮」と呼ば
れ、潮待ちのため落着かれたので「おちつき天神」とも呼ばれている。
なお、この辺りを「汐町」というのは、潮待ちからの由来とする。現在の中央区と天王
寺区にある地名、「上汐町」の冠称の「上」の字は南船場に所在した「塩町」との混合
を避けるために冠したことによるという。
菅原道真が腰を掛けたと伝わる「お座りの石」、座ると道真公同様、頭が良くなる・・・
境内の一角に「おちつき天神社」が有り、山門の傍らには「右大臣菅原道真公遺跡 
おちつき天神」の碑が建てられている。
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長安寺・・・浄土宗知恩院末の寺院。山号は瀧水山。
天正年間に寂譽により開基される。開山は法譽(慶長12年6月25日寂)。
本尊は阿弥陀如来。像高五尺五寸(2m)。
寛文3年(1663年)多くの信者からの寄進により、加古川市の鶴林寺より当山に請来
された。制作時期は不詳であるが、聖徳太子御作と伝えられる。幸い2度の大阪大空
襲の火難は逃れるが、昭和25年9月3日、ジェーン台風による仮本堂倒壊とともに破
損、京都の国宝修理所において修復され、現在に至る。
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蓮生寺・・・ねしゃかの寺 今回のコースには無かったが以前訪れた事があったので
ねしゃかの寺(蓮生寺・れんせいじ)
山号 宝池山、浄土宗知恩寺末寺、文禄元年(1592)僧天譽創建、大坂夏の陣で焼失、
延宝年間(1673~1681)に復興、正徳4年((1717)台風で大破、享保年間(1716~1736)
再興、戦災で昭和20年(1945)焼失、昭和59年((1984)再々興。
寝釈迦像は江戸初期の作で青銅製重さ500キロ、寺伝に依ると、「昔、正斎という念仏
行者が、道頓堀の墓地に草庵を建て、この尊像を安置して、一千日念佛を行じたところ、
諸人の帰依ことのほか厚く、群集が集まり、その前に市が出来、千日念佛前と呼ばれ、
今日の千日前の基となりました。明治維新に神仏分離令が出て、神仏合祀が禁じられ
たので、当寺に祀られていた金比羅宮を遷宮して、その跡へお迎えしました。香華絶え
ることなく、病気あれば痛むところをなでて、信心祈願すれば、悉く平癒すると云われて
います。一般に釈迦の涅槃像は右を下にした横臥像ですが、この涅槃像は真上を向い
て仰臥しています。
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籐次寺へ向かう
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籐次寺・・・今回のコースには無かったが以前訪れた事があったので
藤次寺(とうじじ)は、大阪市天王寺区生玉町にある、高野山真言宗の寺院。山号は如
意山(にょいさん)。
藤次寺は弘仁年間(810年~824年)に藤原冬嗣の発願により、甥(おい)の、任瑞上人
を開基とする。藤原家の安泰を願い建立された。藤原家を治める寺であるでゆえに、藤
冶寺と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つである地蔵院を合併し、藤次寺と
改称し、現在に至っている。
作家・山崎豊子の墓所も藤次寺にあり、墓石の右隣には山崎が生前執筆した全28作の
作品名が刻まれた石碑も存在する。
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西方寺・・・安養山西方寺。 三井高利の墓所
「大阪三越」、1673 年(延宝元年)京都室町に、翌年江戸は本町で開かれた「越後屋
呉服店」まで遡ることが出来る。この越後屋の創業者で、後の三井財閥の始祖である
三井高利は1622 年(元和8年)伊勢松阪の商人三井高俊の4男として生まれた。
1635 年(寛永12 年)江戸に出て、呉服屋を開いていた長兄の店を手伝い、商いのノウ
ハウを習得した。 高利は自分の店を持つと、当時として画期的な「現金掛値なし」の取
引を始め、店売りを主体とする、顧客にはお茶を出す、雨が降り出すと貸傘を置くなど、
現在でも通用する独創的なサービスを次々と打ち出している。高利は1683 年(天和3
年)江戸本町の店を駿河町に移し、両替商も始めたが、69歳のとき大坂に進出し、同
業者の営業妨害をものともせず、事業を拡大している。1694 年(元禄7年)73 歳で没
した。墓は大阪天王寺区の西方寺にある三井家の墓所の中にある。
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此の続きは、
10月8日の秋風を感じ都会の中に有る癒しを求めて-2 として
          下記のメインブログへ詳細を投稿しました。
       http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-10-10 
続きは、生国魂神社~
生国魂神社
『日本書紀』孝徳天皇(7世紀中頃)に「生國神社」、平安時代の『延喜式』には「難波坐
なにわにいます生國咲いくくにさき國魂くにたま神社」二座と記され、御祭神は特別に
生島巫いくしまのみかんなぎによって祀られるなど、国家の祭祀(八十島祭)の社として
知られている。中世では隣接して「石山本願寺」が建てられ、そして1583年に豊臣秀
吉が大阪城築城のため、社領を寄進し社殿を造営し、1585年に現在の地に遷ったと
伝えられる。その後も豊臣・徳川と時代は変わったが、両家の保護のもとに神域は守ら
れ、以来「難波なにわの大社おおやしろ」の尊称をもって広く信仰を集め、明治には官
幣大社に列せられる。
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城方向きたむき八幡宮(境内社)「勝運・方除の神」
大阪城鬼門の守護神として祀られていたことから、城方向(北向-きたむき)と称する。
古来「八幡宮」は武神として崇敬厚く、当社では勝運・方除けの神様として信仰を集め
ている。
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鴫野しぎの神社(境内社)「女性の守護神」
淀君ゆかりの神社。昔、弁天島に大阪城の淀君の崇敬が篤い弁天社「鴫野しぎのの
弁天さん」があった。後にはその隣に「淀姫社」として祀られるようになった。そして女
性の守護神として心願成就、縁結びから悪縁切りまで霊験あらたかとの評判を呼び、
毎月「巳の日」を縁日としてお参りする人が群れをなしたと伝えられる。俗に「巳みい
さん」と呼ばれた由縁である。その後、弁天島用地買収に伴い大阪城に縁の深い当
社に移され、鴫野(しぎの)神社として祀られている。
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生国魂神社を後に
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真言坂を降りて
高津宮へ向かう陸橋の上から生国魂神社の鳥居を
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高津宮
当宮は浪速の地を皇都(高津宮)と定められ大阪隆昌の基を築かれた仁徳天皇を王
神と仰ぐ神社であります。
仁徳天皇が高殿に昇られて人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ち
に諸税を止めて庶民を救済されました御仁政はあまねく国民の敬慕する処であります。
その御仁政を慕い平安期の初期清和天皇の貞観八年(866年)勅命(天皇の命令)に
よって旧都の遺跡を探索して社地を定め社殿を築いてお祭りしたのを創始と致します。
以後世々皇室を始め時の幕府等の度々の御造営寄進を重ねて浪速津の守護神と仰
がれ御神威輝き渡ったのでありますが、その後700年を経た正親町天皇の天正十一
年(1583年)豊臣秀吉が大阪城の築城に際し比売古曽社の現在地に御遷座(神社の
御神体が移ること)になって今日に及んでおります。
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高津公園で昼食
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高津公園を後に、谷町筋を横断、上町筋へ出て難波宮跡へ向かう
途中の上本町1丁目から空堀町~JR玉造駅へショートカットコース
をとり、空堀町で知人はJR玉造駅へ向かい、私はどんどろ大師へ・・

どんどろ大師
善福寺(ぜんぷくじ)は、大阪市天王寺区空堀町にある高野山真言宗の寺院。「どん
どろ大師」「どんどろ」と通称する。山号は如意山。院号は甘露院。「どんどろ大師」の
名で知られる。
現在、善福寺のある位置には鏡如庵大師堂(鏡如寺・通称:どんどろ大師)という寺
があったが、明治時代に廃寺になっている。その後、明治42年(1909年)1月9日に
大阪府豊能郡豊能町(旧大阪府豊能郡東能勢村)にあった如意山甘露院善福寺を
鏡如庵大師堂のあった場所(現在地)へ移転し、現在に至っている。
鏡如庵大師堂(どんどろ大師)
大坂冬・夏の陣の戦跡鏡如庵大師堂(きょうにょあんだいしどう)は、宝暦2年(175
2年)3月に高野山岩本院 法資法道が大坂夏の陣(元和元年・1615年)の戦死者の
霊を弔うために創建されたと言う。鏡如庵とも称する。鏡如庵大師堂のあった付近
は、大坂冬の陣(慶長19年・1614年)では、真田幸村が真田丸を築き、激戦があっ
た。大坂冬・夏の陣ともに激戦地であった。
鏡如庵大師堂は、歌舞伎「傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)」、歌舞伎「国
訛嫩笈摺(くになまりふたばのおいずる)」の「どんどろ大師 門前の場」の舞台として
設定されている。
平成19年(2007年)、どんどろ大師善福寺境内にある勝軍地蔵尊の建立100年と、
2009年(平成21年)に、どんどろ大師善福寺中興當地開創百年を迎えることから、
この2つの百年を記念して、平成21年(2009年)山門前に、歌舞伎「傾城阿波の鳴
門 どんどろ大師門前の場」に登場する「お弓 おつる」母子像の銅像が建立された。
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「真田丸」跡に信繁父子を祀る心眼寺を創建
1614年、慶長19年、真田信繁(幸村)は真田山に出城「真田丸」をつくり、ここで徳
川の大軍を相手に勝利をおさめた。翌年、「大坂夏の陣」で幸村は討ち死にする。
そして豊臣家は滅亡した。
元和8年(1622)4月、白牟(はくむ)和尚が、「真田丸」があった場所に、幸村・大助
父子の冥福を祈るために堂舎を創建。それが心眼寺(しんがんじ)である。寺の定
紋は真田家の六文銭と定められ、山号は真田山だ。
しかし当時、大坂は江戸幕府の直轄地であったため、豊臣方の武将であった幸村
の墓をつくることは許されなかったようだ。幸村のお墓は建てられないままずっとき
たのだが、真田丸の戦いがあった「大坂冬の陣」から400年目にあたる2014年、信
繁四百回忌に、ご住職の長年の願いが叶い、ついに墓碑が建立された。寺を入っ
てすぐの場所にあり、「従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓(じゅごいのげ さな
ださえもんのすけとよとみのぶしげのはか)」と記されている。
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真田丸顕彰碑
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興徳寺・・・真言宗興徳寺
聖徳太子御在世中の創建と伝えられる。創建時は薬師院と称し、大阪城付近に
あったと思われる。秀吉が大阪城築城の時、現在の地に移設。戦災のため古い
資料・過去帳・仏像が焼失、住職が行方不明の荒れ放題の寺だった。また、この
寺の住職は次期信貴山の貫主になられる出世寺であった。過去を調べるより現
世利得の方針で、子供の遊び場、休憩所を設け地域密着の場を提供されている。
高さ 10 米メートル程の准抵観音像が祀られている。(昭和63 年建立)
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真田山公園を通りJR鶴橋駅へ13時に到着
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天王寺駅ホーム
新型車両の大坂環状線
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王寺駅~バスで自宅近くの「バス停~
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鶴橋駅の外回りホームに有る小さな洋菓子店?アンドリューのエッグタルトで
ショコラ2ヶとアップルティ2ヶを購入して帰宅、美味しかったマカオのお菓子・・・
アンドリュ-(安徳魯)・・・パッケージやしおりに澳門安徳魯餅店と書かれていた
欧州のお洒落なお菓子だと思ってたのが、中国の澳門の安徳魯餅店のお菓子・・・
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9月30日の達磨寺座禅体験と周辺の史跡を巡る-1

10月9日      9月30日の達磨寺座禅体験と周辺の史跡を巡る-1
            JRふれあいハイキング 歩程約8㎞
此の日は、何時も昼飲み会には参加するが、ハイキングには初めて参加する知人と
2人で王寺町の達磨寺座禅体験ハイキングに参加して来た、ハイキングには少し暑
かったが此の日の私の万歩計は17695歩で約12km歩いた事に・・・
JRふれあいハイキング 王寺観光ボランティアガイドの会主催  要予約ハイキング
コース   参加費400円
王寺駅(10時集合・スタート)~達磨寺(座禅体験)~芦田池~乳垂地蔵(ままたれ地
蔵)~尼寺廃寺跡(昼食)~永福寺~孝霊天皇陵~王寺駅(ゴール)
楽しいハイキング、王寺観光ボランティアガイドの会の皆さん、有難う御座いました。
志都美駅へ向かう
葛下川
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志都美駅
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達磨寺へ向かう
和らぎの鐘
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達磨寺・・・聖徳太子ゆかりの達磨寺
推古天皇21年(613年)の冬、聖徳太子が片岡山で飢えていた異人に衣食を施した
という飢人伝説(きじんでんせつ)に基づいて開かれた達磨寺は、達磨大師の墓と伝
えられる古墳の上に本堂が築かれている。
「日本書紀」によると、聖徳太子(厩戸皇子)が片岡山を通りかかったところ、飢えて瀕
死の異人に出会った。太子はその異人に寒さと飢えをしのぐための食物と自分の衣類
とを与えた。翌日、使いをやって異人の様子を見に行かせたところ、すでに息絶えてい
たので、丁重に葬った。それからしばらくして墓の様子を見に行かせると、屍骸は消え
ており、衣服だけがたたまれて、棺の上に置かれていた。これを知った里人は、あの異
人は達磨禅師の生まれ変わりに相違ないと言い、聖徳太子自らが刻んだ達磨像を祀っ
たのが、達磨寺の始まりである。
今日は本堂で座禅体験をする
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座禅体験証を貰った
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芦田池
この芦田池は、「日本書紀」によると、聖徳太子の進言によって、推古天皇15年(607
年)の冬に大和の国に新しく造られた4つのため池(肩岡池、高市池、藤原池、菅原池)
の一つ、肩岡池のことであり、日本最古の官立の「ため池」である。
・この地は歌の名所として、数々の名歌が残されている。
 あすからは 若菜つまむと 片岡の
   あしたの原は けふぞやくめる   柿本人麻呂
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乳たれ地蔵(ままたれじぞう)
乳かけ地蔵とも呼ばれ、母乳の出が良くなる地蔵として信仰を集めている。
その昔、、推古天皇が、乳母の乳が少なかったのを憂いて、この地蔵に御祈願されると、
七日と経たないうちに乳が垂れるほどたくさん出るようになったと伝えられている。
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尼寺廃寺跡(にんじはいじあと)・・・国指定史跡尼寺廃寺跡
僧寺と尼寺の関係が指摘される北廃寺跡と南廃寺跡からなる 
・7世紀中頃に創建された寺院跡
・平成8年の調査で、塔の基壇下から日本一大きいと言われる心礎が出土。
・東西、南北ともに幅3.8m・厚さ1.8m=8畳ほどもある大きさの石。(地下の心礎
は埋め戻され見ることは出来ない)
・基壇上には心礎をはじめ計13個が残存。
・塔の北側に、南北約16m・東西10mの金堂跡と見られる基壇が確認されている。
・出土の瓦などから7世紀中ごろから建設を始め、奈良時代後半まで存在。その後
消失したと推定されている。
・法隆寺式伽藍配置である。
今日は此処で昼食・・・
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午後は
永福寺へ向かう
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此の続きは、
9月30日の達磨寺座禅体験と周辺の史跡を巡る-2 として
            下記のメインブログへ詳細を投稿しました。
          http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-10-09
続きは、永福寺~
永福寺(えいふくじ)
行基によって開基されたといわれ、本尊釈迦如来坐像は寄木造、地蔵菩薩立像は
一木造で、ともに平安後期の作品。境内の層塔も凝灰岩を使い、風食による破損
が大きいものの平安後期以前の作品と見られる。
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孝霊天皇陵へ向かう
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孝霊天皇陵・・・桃太郎と卑弥呼のお父さんとされる第7代孝霊天皇
孝霊天皇は、「古事記」「日本書紀」に記される第7代天皇(紀元前290年2月19日~
紀元前215年3月27日)。大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)
大倭根子日子賦斗運命(「古事記」)
父は孝安天皇、母は天足彦国押人命(あまてらしひこくにおしひとのみこと)の女・押
媛(おしひめ、「古事記」に忍鹿比売)。
皇后は細媛命(くわしひめのみこと、ほそひめのみこと。磯城県主大目の女)
第一皇子は大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと、孝元天皇)
皇子の彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと 吉備津彦命)は桃太郎伝説の
モデルと言われている。
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天皇陵から見る空は雲一つ無い青空
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天皇陵を降りて
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王寺駅へ向かう
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葛下川下流&上流
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葛下川堤防で解散
王寺駅前からバスで帰り下牧停留所から自宅へ
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おまけ
我家の琉球朝顔とクロトン
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9月26日の歩こう会 キトラ古墳周辺地区&その他

10月9日        9月26日の歩こう会 キトラ古墳周辺地区&その他
                30日の分を先にアップして前後しますが
此の日は、歩こう会の先導役、歩こう会のフラッグを持ってコース案内の先導役なの
で休憩ポイント以外での写真を撮る事ができなかったのでこうなりました・・・
コース   歩程約8㎞
飛鳥駅(受付・スタート)~飛鳥歴史公園館~高松塚古墳~文武天皇陵~キトラ古墳
周辺・檜隈寺跡前休憩所(昼食)~於美阿志神社・檜隅寺跡~キトラ古墳四神の館~
キトラ古墳~展望台~農業体験小屋前~飛鳥駅
飛鳥駅
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高松塚古墳で集合さ真を撮り
高松塚古墳休憩所から明日香を
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文武天皇陵と先頭の彼岸花
此の日の参加者83人、先頭から最後尾を撮る
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キトラ古墳周辺地区・檜隈寺前休憩所
ムラサキ式部&シロ式部
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その他(9月27日)絵手紙教室
2回目の絵手紙教室、久宝寺駅から社友会事務所へ
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10月3日・・・社友会事務所で歩こう会HP更新
此の日、歩こう会と歴史探訪の会の掲示板の写真張り替え
上段は歩こう会、下段は歴史探訪の会の掲示板
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歩こう会の掲示板には8月と9月の例会の写真

歴史探訪の会の掲示板
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歴史探訪の掲示板には開催時の集合写真(1月、3月、5月、7月、9月)を・・・

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9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-3

10月1日        9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-3
                  近鉄駅フリーハイキング飛鳥駅~
此の日は知人と6人で参加、天気が良くてまだまだ暑い中でのハイキングだった・・・
長蛇の列を想定して10時過ぎて飛鳥駅に着いたがまだまだ長蛇の列、私で837人目、
知人を待つ間、まだまだ長蛇の列が続いていた・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング   飛鳥駅受付9時半~11時10分
飛鳥駅(受付)~文武天皇陵~朝風峠~稲渕棚田・案山子ロード~男綱~祝戸橋~
石舞台古墳地区(昼食)~石舞台古墳~橘寺~川原寺跡~亀石~鬼の雪隠~鬼の俎
~飛鳥周遊道路~猿石(吉備媛王)~欽明天皇陵~耳なほし地蔵~飛鳥駅
飛鳥駅~文武天皇陵へ向かう
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文武天皇陵~朝風峠へ向かう
文武天皇
文武天皇(もんむてんのう、天武天皇12年(683年) - 慶雲4年6月15日(707年7月18日))
は、日本の第42代天皇(在位:文武天皇元年8月1日(697年8月22日) - 慶雲4年6月15日
(707年7月18日))。天武天皇と持統天皇の孫。
当時としては異例の14歳の若さで即位。祖母・持統太上天皇(史上初の太上天皇)のもと
で政務を行っていた。後の院政形式の始まりである。
P9242971.JPGP9242975.JPGP9242979.JPGP9242984.JPGP9242992.JPGP9242995.JPG

朝風峠~稲渕棚田・案山子ロード
P9242997.JPGP9243002.JPGP9243009.JPGP9243013.JPG

稲渕棚田・案山子ロード~男綱
P9243017.JPGP9243025.JPGP9243029.JPGP9243031.JPG
此処までは、
9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-10-01
続きは、
まだまだ続く 稲渕棚田・案山子ロード~男綱
P9243033.JPGP9243036.JPGP9243040.JPGP9243044.JPGP9243047.JPGP9243053.JPGP9243057.JPGP9243062.JPGP9243068.JPG P9243072.JPG 此れが 一番大きい案山子 P9243075.JPG P9243077.JPGP9243081.JPGP9243086.JPGP9243090.JPGP9243091.JPGP9243099.JPG まだまだ続く、稲渕棚田・案山子ロード~男綱 此処までは、 9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-2 として          下記のメインブログへ詳細を投稿しました。        http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-10-01 稲渕棚田・案山子ロード~男綱 P9243101.JPGP9243102.JPGP9243103.JPGP9243105.JPGP9243106.JPGP9243108.JPGP9243110.JPGP9243112.JPGP9243114.JPGP9243115.JPGP9243117.JPGP9243122.JPGP9243124.JPG 男綱~祝戸橋 P9243126.JPGP9243128.JPGP9243130.JPGP9243132.JPGP9243134.JPGP9243136.JPGP9243138.JPG 祝戸橋~石舞台古墳地区(昼食) P9243140.JPGP9243142.JPGP9243144.JPGP9243146.JPG 石舞台古墳地区~石舞台古墳 石舞台古墳 石舞台古墳は、飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置するわが国最大級の 方墳です。30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重 量で、造られた当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。 1933年(昭和8)~35年(昭和10)の発掘調査で方形の墳丘、堀、外堀が存在すること、 6世紀代の小古墳を壊して築造されていたことなどが確認されており、その上で築造は 7世紀初め頃と推定されています。 P9243148.JPGP9243151.JPGP9243152.JPGP9243158.JPGP9243160.JPGP9243175.JPG 石舞台古墳~橘寺 P9243179.JPGP9243181.JPG P9243183.JPGP9243185.JPG 此の続きは、 9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-4 として            下記のメインブログへ詳細を投稿します。           http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/   続きは、橘寺~ 橘寺~川原寺跡望む 橘寺 聖徳太子誕生の地に太子自身が創建とされる橘寺(たちばなてら)です。この橘とは 日本書紀によると田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を 求め、海を渡り十年後にある種を持ち帰りました。しかし、その時はすでに天皇は亡く なっていたそうです。しかたなく、その種をこの地にまくと芽が出たのが橘(みかんの 原種)であったことから、以来この地を橘と呼ぶようになったそうです。そしてここに橘 の宮という欽明天皇の別宮が建てられ、太子はここで生まれ子供頃を過ごしました。 P9243187.JPGP9243192.JPGP9243195.JPGP9243202.JPGP9243205.JPGP9243209.JPGP9243214.JPGP9243223.JPGP9243224.JPGP9243226.JPG 橘寺~亀石 P9243232.JPG 此の続きは、 9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-5 として 亀石~ 亀石~鬼の雪隠~鬼の俎 亀石 大きさは長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルもある。 いつ頃制作されたのかや目的・用途など詳しいことはわかっていないが、弘福寺 (川原寺)の古文書に「字亀石垣内」と記載されたもの有り川原寺の寺域の境界を 示す石標ではないかという説や、猿石、二面石、人頭石など一連の飛鳥石造物の 一つではないかなど、様々な説がある。 ※亀石伝説 奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻のヘビと川原のナマズの争いの結果 前者のヘビが勝ち、水を吸い取られた結果、川原の辺りは干上がってしまい、湖 のカメはみんな死んでしまった。これを哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って 供養をしたという。 また、亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたと言う。そして、現在は南 西を向いているが、西に向き、当麻のほうを睨みつけると、奈良盆地は一円泥の 海と化すと伝えられている。 P9243237.JPGP9243241.JPGP9243242.JPG 飛鳥周遊道路~猿石(吉備姫王墓)・欽明天皇陵 猿石(吉備姫王墓) 欽明天皇陵の南西に、宮内庁が檜隈墓として管理する吉備姫王(きびひめのみこ)の 墓がある。吉備姫は第35代皇極天皇(第37代斉明天皇)および第36代孝徳天皇の 生母であり、『日本書紀』によれば皇極天皇2年(642)9月になくなり、檀弓丘に埋葬さ れた。『延喜式』諸陵寮には欽明天皇陵と同じ陵域内に墓があると記されていること から、その墓が現在の古墳に比定されている。柵の中に有る高さ1m前後の石造物は、 それぞれ僧、男性、女性、山王権現の名で呼ばれているが、何故か「猿石」と総称され ている。 P9243244.JPGP9243246.JPGP9243250.JPGP9243256.JPGP9243258.JPG 欽明天皇陵~耳なほし地蔵 欽明天皇 欽明天皇(きんめいてんのう、継体天皇3年(509年?) - 欽明天皇32年4月15日(571年 5月24日?))は、第29代天皇(在位:宣化天皇4年12月5日(539年12月30日?) - 欽明天 皇32年(571年?)4月15日)。和風諡号は天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろに わのすめらみこと)。別名、志帰嶋天皇・斯帰斯麻天皇(いずれも「しきしまのすめらみこ と」と呼ぶ)。この代に、百済より仏教が公伝し、任那が滅亡した。 P9243264.JPGP9243268.JPG 耳なほし地蔵 朝風峠でボランティアガイドさんに下記の伝説を聞いた事が有ります。 明日香・栗原集落の朝風峠のお地蔵さん、右の肩の上が大きく欠けているのは、 「朝風地蔵」と平田集落にある「耳なほし地蔵」が争って、片方は肩を取られ、 片方は耳を取られた。というおもしろい言い伝えがあるそうです。 今日、訪れた、此の耳なほし地蔵には「キリ」が多数奉納されていました、キリ で穴が開けられる様に耳が通り聞こえる様になる?というおまじないでしょう・・・ P9243270.JPG 耳なほし地蔵~飛鳥駅 P9243272.JPG おまけ 二上山~我が家の琉球朝顔他 P9243276.JPGP9243279.JPGP9243281.JPG
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9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-1

10月1日        9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-1
                  近鉄駅フリーハイキング飛鳥駅~
此の日は知人と6人で参加、天気が良くてまだまだ暑い中でのハイキングだった・・・
長蛇の列を想定して10時過ぎて飛鳥駅に着いたがまだまだ長蛇の列、私で837人目、
知人を待つ間、まだまだ長蛇の列が続いていた・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング   飛鳥駅受付9時半~11時10分
飛鳥駅(受付)~文武天皇陵~朝風峠~稲渕棚田・案山子ロード~男綱~祝戸橋~
石舞台古墳地区(昼食)~石舞台古墳~橘寺~川原寺跡~亀石~鬼の雪隠~鬼の俎
~飛鳥周遊道路~猿石(吉備媛王)~欽明天皇陵~耳なほし地蔵~飛鳥駅
飛鳥駅~文武天皇陵へ向かう
P9242966.JPGP9242967.JPGP9242969.JPG
文武天皇陵~朝風峠へ向かう
文武天皇
文武天皇(もんむてんのう、天武天皇12年(683年) - 慶雲4年6月15日(707年7月18日))
は、日本の第42代天皇(在位:文武天皇元年8月1日(697年8月22日) - 慶雲4年6月15日
(707年7月18日))。天武天皇と持統天皇の孫。
当時としては異例の14歳の若さで即位。祖母・持統太上天皇(史上初の太上天皇)のもと
で政務を行っていた。後の院政形式の始まりである。
P9242971.JPGP9242972.JPGP9242973.JPGP9242975.JPGP9242977.JPGP9242979.JPGP9242980.JPGP9242982.JPGP9242984.JPGP9242985.JPGP9242987.JPGP9242988.JPGP9242992.JPGP9242995.JPGP9242996.JPG

朝風峠~稲渕棚田・案山子ロード
P9242997.JPGP9242999.JPG

稲渕棚田・案山子ロード~男綱
P9243000.JPGP9243002.JPGP9243004.JPGP9243006.JPGP9243008.JPGP9243009.JPGP9243011.JPGP9243013.JPGP9243017.JPGP9243019.JPGP9243021.JPGP9243023.JPGP9243025.JPGP9243027.JPGP9243029.JPGP9243031.JPG
此の続きは、
9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-2 として
        下記のメインブログへ詳細を投稿します。
       http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、
まだまだ続く 稲渕棚田・案山子ロード~男綱
P9243033.JPGP9243036.JPGP9243042.JPGP9243047.JPG
此れが
一番大きい案山子
P9243077.JPGP9243084.JPGP9243090.JPGP9243091.JPGP9243099.JPG
まだまだ続く
稲渕棚田・案山子ロード~男綱
9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-3 として詳細は別途・・・
P9243101.JPGP9243102.JPGP9243105.JPGP9243108.JPGP9243114.JPGP9243117.JPGP9243122.JPGP9243124.JPG

男綱~祝戸橋
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祝戸橋~石舞台古墳地区(昼食)
P9243140.JPGP9243144.JPG
石舞台古墳地区~石舞台古墳
石舞台古墳
石舞台古墳は、飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置するわが国最大級の
方墳です。30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重
量で、造られた当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。
1933年(昭和8)~35年(昭和10)の発掘調査で方形の墳丘、堀、外堀が存在すること、
6世紀代の小古墳を壊して築造されていたことなどが確認されており、その上で築造は
7世紀初め頃と推定されています。
P9243148.JPGP9243160.JPGP9243175.JPG

石舞台古墳~橘寺
P9243179.JPGP9243181.JPGP9243185.JPG
此処から名は、
9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-4 として詳細は別途・・・
橘寺~
橘寺~川原寺跡望む
橘寺
聖徳太子誕生の地に太子自身が創建とされる橘寺(たちばなてら)です。この橘とは
日本書紀によると田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を
求め、海を渡り十年後にある種を持ち帰りました。しかし、その時はすでに天皇は亡く
なっていたそうです。しかたなく、その種をこの地にまくと芽が出たのが橘(みかんの
原種)であったことから、以来この地を橘と呼ぶようになったそうです。そしてここに橘
の宮という欽明天皇の別宮が建てられ、太子はここで生まれ子供頃を過ごしました。
P9243187.JPGP9243192.JPGP9243195.JPGP9243202.JPGP9243205.JPGP9243209.JPGP9243214.JPGP9243223.JPGP9243224.JPGP9243226.JPG

橘寺~亀石
P9243232.JPG
此の続きは、
9月24日の飛鳥稲渕の棚田と案山子と彼岸花-5 として詳細は別途・・・
亀石~
亀石~鬼の雪隠~鬼の俎
亀石
大きさは長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルもある。
いつ頃制作されたのかや目的・用途など詳しいことはわかっていないが、弘福寺
(川原寺)の古文書に「字亀石垣内」と記載されたもの有り川原寺の寺域の境界を
示す石標ではないかという説や、猿石、二面石、人頭石など一連の飛鳥石造物の
一つではないかなど、様々な説がある。
※亀石伝説
奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻のヘビと川原のナマズの争いの結果
前者のヘビが勝ち、水を吸い取られた結果、川原の辺りは干上がってしまい、湖
のカメはみんな死んでしまった。これを哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って
供養をしたという。
また、亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたと言う。そして、現在は南
西を向いているが、西に向き、当麻のほうを睨みつけると、奈良盆地は一円泥の
海と化すと伝えられている。
P9243237.JPGP9243241.JPGP9243242.JPG

飛鳥周遊道路~猿石(吉備姫王墓)・欽明天皇陵
猿石(吉備姫王墓)
欽明天皇陵の南西に、宮内庁が檜隈墓として管理する吉備姫王(きびひめのみこ)の
墓がある。吉備姫は第35代皇極天皇(第37代斉明天皇)および第36代孝徳天皇の
生母であり、『日本書紀』によれば皇極天皇2年(642)9月になくなり、檀弓丘に埋葬さ
れた。『延喜式』諸陵寮には欽明天皇陵と同じ陵域内に墓があると記されていること
から、その墓が現在の古墳に比定されている。柵の中に有る高さ1m前後の石造物は、
それぞれ僧、男性、女性、山王権現の名で呼ばれているが、何故か「猿石」と総称され
ている。
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欽明天皇陵~耳なほし地蔵
欽明天皇
欽明天皇(きんめいてんのう、継体天皇3年(509年?) - 欽明天皇32年4月15日(571年
5月24日?))は、第29代天皇(在位:宣化天皇4年12月5日(539年12月30日?) - 欽明天
皇32年(571年?)4月15日)。和風諡号は天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろに
わのすめらみこと)。別名、志帰嶋天皇・斯帰斯麻天皇(いずれも「しきしまのすめらみこ
と」と呼ぶ)。この代に、百済より仏教が公伝し、任那が滅亡した。
P9243264.JPGP9243268.JPGP9243270.JPG

耳なほし地蔵~飛鳥駅
耳なほし地蔵
朝風峠でボランティアガイドさんに下記の伝説を聞いた事が有ります。
明日香・栗原集落の朝風峠のお地蔵さん、右の肩の上が大きく欠けているのは、
「朝風地蔵」と平田集落にある「耳なほし地蔵」が争って、片方は肩を取られ、
片方は耳を取られた。というおもしろい言い伝えがあるそうです。
今日、訪れた、此の耳なほし地蔵には「キリ」が多数奉納されていました、キリ
で穴が開けられる様に耳が通り聞こえる様になる?というおまじないでしょう・・・
P9243272.JPG
おまけ
二上山~我が家の琉球朝顔他
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9月22日の昼飲み会ハイキング・今川駅~1

9月25日      9月22日の昼飲み会ハイキング・今川駅~1
              今川駅~湯処・あべの橋へ 約8km
此の日は、15:00~17:00、阿倍野の居酒屋で月1回の昼飲み会を設定している日・・・
ハイキング参加者は、私を含めて3人、近鉄今川駅~阿倍野のキューズモールの裏の
湯処・あべの橋へ歩いて、風呂で汗を流して昼飲み会の待ち合わせ場所へ集合する。
此の日は曇り空、午後はあめの予報、雨が降る迄に阿倍野へ帰れる予定だったのが、
午前中に雨が降り出して、雨の中で弁当を食べる訳にもいかず、止む無く中華料理店
でサービスランチを食べる羽目になり、昼飲み会ハイキングを開催して初めての雨?・・・
コース   此の日の私の万歩計は、19000歩で約10.5km歩いた事に・・・
今川駅(集合)~今川緑道~白鷺公園~大念佛寺~杭全神社・宇賀神社~平野郷環濠
跡~JR平野駅~平野川大橋~東部市場~生中橋~生野本通り商店街~生野八坂神
社~生野本通り商店街~源ケ橋交差点~寺田町駅~南河堀交差点~JR陸橋~近鉄
庚申口~阿倍野キューズモール~湯処・あべの橋(ゴール・風呂で汗を流して休憩)

予定の14:50 JR天王寺駅待ち合わせ場所551蓬莱前で昼飲み会メンバーと合流

大念佛寺~杭全神社へ行く途中から雨がポツリポツリ、平野川大橋~東部市場で小雨、
生中橋を渡り本通り商店街に入るとアーケード街なので八坂神社の所でのみ傘が必要。
源ケ橋交差点のアーケード出口でも雨は降っており此れから先の公園での昼食は無理、
源ケ橋交差点ちかくのチュウか料理店でサービスランチを食べ、キューズモールへ・・・
昼飲み会の二次会に、久し振りにカラオケ(2ヶ月ぶり)にも行き、それでも19時迄で・・・
今川駅~今川緑道
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今川緑道
戦前は漆並木で有名な「漆堤」の名称がありました。
正徳5年(1715)付け城蓮寺村の堤奉行宛恐書(オソレガキ)の中に、「うるし堤」の美し
さを述べる文言があるので、その頃に既に漆が広く植えられていたことがわかります。
しかし、戦前の今川に残されていた漆は僅かなもので、西除川沿いにある矢田7丁目
の阿麻美許曽神社や松原市の布忍神社境内や、駒川沿いの鷹合神社境内にも川沿
いに漆の木が植えられていたことが確認できるので、漆は地場産業として、また川堤
の補強策としても、今川堤に限らず、広く植えられていたことが分かります。 今川の本
漆は、戦中の燃料不足に困った住人達が堤の樹木を盗伐し、漆にまで手を付けたの
で、その全てが消滅しましたが、今も、一部では漆を植えているところもあり、昔年の
紅葉を楽しませてくれます。
ただ、現在川沿いの所々に見られる櫨(ハゼ)の木は漆と似ていますが、樹液を分泌せ
ず、造膜性や刺激性がなく、異なった性質の樹木です。
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白鷺公園~大念佛寺
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大念佛寺・・・大念佛寺のHPより引用
大治2年(1127年)、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った
際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創
建したのが始まり。 平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門
の最初の宗派で日本最初の念仏道場といわれる。その後、火災などで荒廃するが、
元禄期(1700年頃)に本山として体 裁が整い、現在に至る。融通念佛宗の総本山。
本堂は、大阪府下最大の木造建築で、国登録の有形文化財に指定されています。
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大念佛寺~杭全神社・宇賀神社
杭全神社
貞観4年(862年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂の孫で、この地に荘園を有していた坂
上当道が素盞嗚尊を勧請し、社殿を創建したのが最初と伝えられている。以降、建久
元年(1190年)に熊野證誠権現(伊弉諾尊)、元亨元年(1321年)には熊野三所権現
(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を勧請合祀し、後醍醐天皇から「熊野三所権現」の
勅額を賜り、熊野権現社の総社とされた。明治になって現在の社名に改まった。日本
で唯一連歌所が残っており、連歌会は明治以降廃れていたが、1987年に復活させ、
現在、毎月定期的に平野法楽連歌会が催されている。1999年からはインターネット
連歌が始まった。初代の連歌所は室町時代に建てられたが、大坂冬の陣で焼かれ
た。現存するのは1708年(宝永5年)に再建されたもので、大阪市指定文化財に指定
されている。
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宇賀神社
杭全神社の摂社で市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)をお祭りしている神社。
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此の続きは、
9月22日の昼飲み会ハイキング・今川駅~2 として
        下記のメインブログへ詳細を投稿しました。
      http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-09-26 
続きは、宇賀神社~平野郷環濠跡~
杭全神社の参道に平野環濠跡の碑を発見?
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平野郷環濠跡
平野の環濠は、いつ頃掘られたものか不明であるが、戦国時代の動乱の時代に自衛
と灌漑、排水用あるいは洪水の調節池としての役割をもってつくられたものと考えられ
る。町の周囲には堤を築きその外に濠を、さらに堤と濠というように二重に築かれてい
たところもあり、濠が平野川ともつながっていたので舟運もひらけ、繁栄の基礎ともなっ
た。また、町の出入口13の門(平野郷樋尻口門跡)から街道が各地に通じ、平野は水
陸両方の交通の要衝でもあった。尚河骨池(ここのいけ)口付近には船溜りがあり、平
野川を上下する柏原船の発着で賑わった。
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平野郷環濠跡~JR平野駅前~平野川大橋
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平野川
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平野川大橋~東部市場前~生中橋~生野本通り商店街
どりー夢 生野本通り商店街入り口へ入る
源ケ橋側の通商店街入り口にはキャラクター<しょーたくん> の絵があったが・・・
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生野八坂神社~生野本通り商店街~源ケ橋交差点
生野八坂神社
東成郡誌第三編、生野村第四神社の項に『素盞嗚尊(すさのおのみこと)神社、大字
林寺字林に鎮座せり…』とあり、その創祀は諸書に『元禄二巳(1689)年勧請』とありま
すが、他にも説があって定かではありません。東成郡林寺村(旧地名)の氏神様とし
て崇敬されていましたが、明治41(1908)年に天王寺区の河堀稲生神社に合祀され、
境内地も『河堀稲生神社御旅所(おたびしょ)』となりました。その後、氏子有志の熱誠
なる努力によって復興造営が完成し、昭和30(1955)年御神霊の還御を仰ぎ『生野八
坂神社』の認証を受け、『生野の祇園様』として今日に至っています。
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良い言葉を見つけた
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生野本通り商店街
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生野本通り商店街を出る
生野本通商店街のキャラクター<しょーたくん> 聖徳太子の子孫ということです。
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※源ケ橋交差点
源ケ橋交差点の付近、ここには、千年以前の昔から「猫間川」がありました。南から
流れてきた水が、北の旧淀川に合流していてのです。
さて、このあたりに、古い伝説があります。
200年も昔、江戸は、文化と言われる頃のことです。「猫間川」の渡し守をしている
「源」という悪党がいました。通行人から暴力で金品をまきあげきあげて生活をして
いたのです。或る日、例のように、一人の旅人からみぐるみ剥いで殺してしまいまし
た。ところが、この人が、長年行方を捜していた、我が子だったのです。さすがの悪
党の「源」も深く悲しんで悔やみました。思い悩んだ末、ついに罪滅ぼしをしようと決
意します。自分の身代をすべてなげうち、「猫間川」に橋を架けることにしたのです。
この橋は、すごい橋でした。それは香木に使われる「伽羅」で出来ていたのです。
この香り高い伽羅香木の橋は、源さんの悔いを表して、あまりあるものでした。人々
は、善人になった「源さん」に因んで、「源ケ橋」と名づけて呼んだのでした。

中華料理店でランチ~JR寺田町駅~南河堀交差点

源ケ橋交差点を渡り
南河堀交差点~JR陸橋~近鉄庚申口~キューズモールへ
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湯処・あべの橋
湯処 あべの橋・・・大阪市港区の『天然温泉テルメ龍宮』から毎日搬送しています。
源泉名 龍宮温泉 1号 大阪市港区2丁目3番33号  深さ 1,500m
泉質 ナトリウム塩化物強塩温泉   泉温 摂氏53.9度(浴槽温度40~42℃)
効能 ・神経痛・筋肉痛・関節・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身
    ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進
    ・切り傷・やけど・慢性皮膚病・虚弱体質・慢性婦人病
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居酒屋&カラオケ
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9月20日の近所の散歩コース-1

9月25日       9月20日の近所の散歩コース-1
                10716歩で約7.1km
久し振りに家内と一緒に買い物がてらに近所の散歩コースを歩いてみた・・・
家を出て高速道路下のトンネルを潜り裏道を廻って滝川を渡り、花屋の前を
滝川台の小学校の前を通り、介護老人ホームの前へ出て、大型商業施設の
横道をハナミズキの色付き具合を観察しながら、ハナミズキ並木を食品スー
パ-へ向かう、途中の24時間食品スーパーで小休止、スーパの前の道路の
のヤシの実の匂いに魅かれて道路の反対側に渡り、ヤシの木と落ちた香ば
しい実を撮って、滝川を渡り食品スーパーで買い物の前へ出て滝川沿いの
遊歩道を通って図書館の近くまで来て、家内は其のまま滝川沿いの遊歩道を
歩いて自宅へ向い、私は左折れして交番所の前へ出て近道??の坂越えで
自宅へ向う事にした、食品スーパーで買い物した荷物が負担になり近道を・・・
高速道路の裏道で
毎年咲く朝顔?田圃の稲も色付いて
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滝川を渡る所で
此れから向かう場所の曇り空を1枚
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花やの角の琉球朝顔
今年も変わりなく綺麗な色で咲いている
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小学校の正門前の道路
ハート型の雑草の刈りこみと色々な花が咲いている
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介護老人ホームの前を通り
ハナミズキも少し色付いて道路沿いの花壇は花盛り
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大型商業施設の横を通り食品スーパーへ向かう
交差点まえのこんもりとした葛に花が咲いていた
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交差点を渡り、ハナミズキ並木は未だ続く
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此処からは、田圃の向こうに
二上山が見えるのだが曇り空で此の状態、カメラも調子悪い?
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ハナミズキは少し色付いて来た
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此の続きは、
9月20日の近所の散歩コース-2 として
       下記のメインブログへ詳細を投稿しました。
      http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-09-25
続きは、
24時間スーパーの前の道路のヤシの木から
大きなヤシの木が2本、2本目のヤシの木の
根本の方に黄色の実が落ちていてものすごく香ばしい・・・
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ハナミズキの色付き具合は・・・
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滝川を渡り、食品スーパーで買い物
滝川沿いの遊歩道を歩いて自宅へ向う
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川面に白い点々が、良く見ると川の中の藻に
花が咲いて花が水面から顔を出している、此のカメラでは?
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虹の湯の看板の
周囲にキバナコスモスが・・・
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図書館の前迄歩いて、此処で家内と別れて、
家内は滝川の遊歩道を其のまま歩き、私は左折れしてショートカットで帰る
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おまけ
我家の琉球朝顔が3輪咲いていた
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裏庭の彼岸花も咲き始めて・・・
鉢植えの沢キキョウ&沢キキョウとルドベキアとコリウス
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9月15日の元薬師寺跡のホテイアオイ-1

9月16日         9月15日の元薬師寺跡のホテイアオイ-1
                  藤原宮跡資料室駐車場~約2km
このひは家内と2人で車で出かけてみました。
元薬師寺跡に一番近い藤原宮跡内の駐車場は開いて無かったので香久山の麓の
飛鳥文化財研究所藤原宮跡資料室の駐車場に車を入れて元薬師寺跡のホテイア
オイを撮って来た、ほぼ満開状態で朝から天気も良く丁度良い鑑賞日和だった・・・
コース   藤原宮跡資料室駐車場へ車を入れて
藤原宮跡朱雀大路跡~飛騨町を通り~飛鳥川を渡り~元薬師寺跡へ約2km~
飛鳥川を渡り~飛騨町~藤原宮跡朱雀大路跡~藤原宮跡資料室駐車場へ
朱雀大路跡から藤原宮跡と耳成山
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飛鳥川を渡る
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元薬師寺跡 東塔跡周辺のホテイアオイ
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右奥は元薬師寺本堂跡
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左奥は畝傍山
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元薬師寺跡 西塔跡周辺のホテイアオイ
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真ん中奥は畝傍山、彼岸花もそろそろ?
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こんもりとした木は東塔跡
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真ん中奥は畝傍山
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バックは本堂跡
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バックは東塔跡
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バックは西塔跡
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此の続きは、
9月15日の元薬師寺跡のホテイアオイ-2 として
      下記のメインブログへ詳細を投稿しました。
     http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-09-16
続きは、左奥は畝傍山~
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左奥は本堂跡、真ん中は東塔跡
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左側が東塔跡で右奥が西塔跡
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駐車場横のキバナコスモス
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右側が西塔跡
うねび北小2年生が植えたホテイアオイの立て看板
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本堂跡の横に「史跡元薬師寺址の石碑」
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右が本堂跡、真ん中が東塔あと
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帰り道に田の稲
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帰り道、飛鳥川を渡り、飛騨町を過ぎ
朱雀大路跡の対面の耳成山
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帰り道の朱雀大路跡
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帰り道のハギ
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帰り道の香久山
香久山へ向かって歩いています
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道路脇に彼岸花
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おまけ
我家の琉球朝顔の初花
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我家のデュランタ&クロトン
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我家の沢キキョウ&コリウス
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