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6月17日の岸辺からエキスポシティを経て吹田へ-1

6月21日    6月17日の岸辺からエキスポシティを経て吹田へ-1
               JRふれあいハイキング 歩程約12㎞
今回は、1人で参加したJRふれあいハイキング、初めてのパーティ 会費500円
コース  JRふれあい  南大阪歩け歩け協会主催 岸辺駅(受付・集合)9:45 
岸辺駅(受付・集合)~旧中西家住宅~市場池公園~緑のネットワーク道~エキ
スポシティ~万博記念公園駅前広場~伊射奈岐神社~紫金山公園~吉志部神
社~吹田駅(ゴール・解散)   参加者132人?
JR志都美駅
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JR岸辺駅
駅前再開発の工事中・・・
昭和40年~48年にかけて岸辺駅と次の千里丘の粗中間?乗降は千里丘駅から
通勤してたので懐かしいハズが、あまりにも変わり過ぎて思い出の場所が無い・・・
数年前に、千里丘、茨木、高槻方面のハイキングに参加した時は思い出の場所が
なんぼか見受けられたのに、奄美から出て来て物珍しかったのは42年頃迄で・・・
勿論、万博記念公園は万博開催時に歩いて行ける場所に住んでた事も有り休日
前には1LDKの文化住宅が満員に?会社の同僚が寝泊まりに来て万博へ・・・
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旧中西家住宅の前を通り
旧中西家住宅は、文化財を吹田市のために役立てたいという中西家の御厚志に
より、平成19年(2007)年1月22日に家具や調度品とともに、吹田市に寄贈された
物です。
中西家は、江戸時代には大庄屋を勤めていました。
約1,000坪の屋敷地に、文政9(1826)年建築の主屋、長屋門、内蔵(米蔵)、キザ
ラ(木小屋)などの建物が建ち、江戸後期の大庄屋の屋敷構えを、ほぼ当時のまま
伝えています。
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市場池公園へ向かう
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市場池公園・・・小休止
市場池公園は、大阪府摂津市千里丘6丁目にある公園です。隣にスーパーイズ
ミヤがあり、こちらは吹田市です。摂津市と吹田市の境目に位置する公園です。
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ヤマモモの木の下で休憩
実が熟してて美味しい・・・
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市場池公園をスタート
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万博公園へ2km
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万国博覧会記念公園
日本万国博覧会記念公園は、1970年開催の日本万国博覧会(大阪万博)の跡地を
整備した公園である。万博記念公園や万博公園とも呼称される。
所在地は大阪府吹田市千里万博公園。公園を管理するのは、大阪府である。1972
年3月15日の日本万国博覧会一般公開2周年の日にエキスポランドと自然文化園の
第1期及び日本庭園・大阪日本民藝館などを公開して開園する。その後、自然文化
園が第3期に分けて整備・公開され、国立民族学博物館が開設される一方、開園後
に閉鎖された施設もある。
万博公園の入口にデイゴ、太陽の搭も見えて来た
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太陽の搭
太陽の塔は、芸術家の岡本太郎がデザインし、1970年に開催された日本万国博覧
会のシンボルゾーンにテーマ展示館として、母の塔・青春の塔・大屋根(長さ292m、
幅108m、高さ約40m)とともにつくられました。
塔の頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽
の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」という3つの顔を持っています。
構造は、鉄骨、鉄筋コンクリート造りで一部軽量化のため吹き付けのコンクリートが使
われています。また、内部は空洞になっており、博覧会当時は展示空間でしたが、現
在は公開していません。
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エキスポシティ
三井不動産商業マネジメント(株)運営する、万博記念公園の日本最大級 大型複合
施設。
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高さ日本一の大観覧車
日本一高い観覧車. REDHORSE OSAKA WHEEL(レッドホース オオサカ ホイール)
大阪:吹田市:エキスポシティ」. 高さ 117m. 現在日本一高い観覧車は、2016年7月の
オープン時点では世界でも5番目に高い観覧車。
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此の続きは、
6月17日の岸辺からエキスポシティを経て吹田へ-2 として
           下記のメインブログへ詳細を投稿します。
          http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、大観覧車の真下をUターンして~
万博公園の出口へ向かう
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エキスポシティを後に伊射奈岐神社へ向かう
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伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)・・・昼食休憩
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当社は、延喜式内社で、延喜式神明張に、摂津国島下郡、伊射奈岐神社二座
云々とあり一座がこの神社であって、千里丘陵の中間で万国博会場になった地
域に隣接する高庭山に鎮座している。爾来、皇大神御霊と共に内裏に奉斎され
ていた豊受大御神の御霊が崇神天皇の御宇、皇居を離れさせられ、後に丹波
国与謝郡(現在福知山市)の比冶真名井に遷し奉られたが人皇第二十二代雄
略天皇即位二十二年、皇大神の御神誨により現在の伊勢市山田、高倉山麓の
山田ヶ原に遷座し奉られたとき、伊勢斎宮女倭姫の御示教により、大佐々之命
が、五柱の神を奉祀するべき霊地を諸国にもとめ、ついにこの山田の地に奉祀
せられたと云う。又、山田という地名がこの様な処から山田原と称し、伊勢山田
から名を移したのであると伝えられている。俗に姫神社とも称し、貞観元年正月
従五位上を授けられ(三代実録、貞観元年正月の条に「二十七日甲申京畿七
道諸神進階及新叙惣二六七社云々、奉授摂津国従五位、伊射奈岐神従五位
上」)同十五年社宮と改称されたと云う。
延喜の制に大社に列し、明治六年郷社、祈年月次新嘗の案上に預かった名祠
である。俗に五社宮、姫宮とも称し、山田五ヶ村、上村、中村、別所村、小川村、
下村、千里丘、千里ニュータウンを含む産土大神である。
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昼食を終えて鳥居の前に戻って撮り直して本殿へ
大鳥居
大鳥居(明神鳥居:高さ約5.7m) 慶安三年(1650年)建造、寛永七年(1854年)
再造立 左右の柱に銘。が刻まれている
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午後は、伊射奈岐神社境内をスタート、吉志部神社へ向かう
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紫金山公園
この公園には、国の史跡「吉志部瓦窯跡(きしべがようせき)」ほか、歴史的な資
産が存在しています。また、かつて満開のツツジが山を赤紫色に染めた様子が
名前の由来とされる「紫金山」を後世に残そうと、市民による里山保全活動が行
われている場所でもあります。古くから岸部の田畑を潤していた釈迦が池も含め、
歴史、自然をテーマとした整備計画「吹風土記の丘・紫金山公園基本計画」が市
民参画により策定された総合公園です。
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吉志部神社の手前、平窯
「吉志部瓦窯跡(きしべがようせき)」
ここでは延暦13年(794年)に新たに都が移された平安宮の瓦を生産していま
した。発掘調査の結果、平安宮造営当初の瓦生産の実態を示す重要な遺跡
として昭和46年(1971年)に国の史跡に指定されました。
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吉志部神社へ向かう
※吉志部の里と難波吉志一族
千里丘陵南西部に位置する紫金山。現在、吉志部神社を中心に風土記の丘、
総合公園として整備されているこの辺りは、その昔、吉志部の里と呼ばれ、大
和時代から平安時代にかけて難波吉志一族が活躍していました。
難波吉志一族は、朝鮮半島から渡ってきた進んだ技術を持った人々といわれ
ています。「吉志」というのは、朝鮮半島にあった新羅の国で使っていた役人の
位の称号で、日本に渡ってから吉志(貴志、岐志、吉師)と呼ばれた人はたくさ
んいましたが、中でも難波の津(現在の大阪城付近)に住みついた一族を難波
吉志と呼んでいたようです。 岸部にいた難波吉志の先祖は安部難波吉志とい
い、大阪市阿倍野の四天王寺と関係が深いといわれています。
吉志一族は、代々「吉志の大神宮」を守り神として崇敬し一族の繁栄と周辺の
民衆の幸福を祈願して暮らしていました。

吉志部神社
吉志部神社は、大阪府吹田市の紫金山に鎮座し、遥か古代より鎮守の社として
村の人々に崇敬されてまいりました。
吉志部神社の創建時期は明らかではありませんが、社伝によると崇神天皇の時
代に大和国の瑞籬から奉遷して祀られ「大神宮」と称したとありますが、淳和天皇
の時代である天長元(824)年に天照御神と改称したこともあるようです。
ちなみに正式に吉志部神社となったのは、明治3(1870)年、神仏分離の発令を
機に改められてからです。
古くから極めて壮麗な社殿であったと伝えられていますが、応仁の乱の兵火でこ
とごとく焼け落ちてしまいます。焼け跡には奇跡的に神鏡のみが残されていたこ
とから、それを村人たちの手によって再び奉祀して文明元(1469)年に再建、さら
に天文3年(1534年)に中興されました。 江戸時代、祭神は天照皇大神を主神と
した七柱で七社明神と呼ばれ、吉志部5か村の鎮守として祀られていました。後
に豊受大神を合祀し、正徳3(1713)年、正遷宮の棟札には「吉志部村鎮守八社 」
と記されています。
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吹田駅へ向かう
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吹田駅ホームから
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6月16日の舞洲ゆり園・コスモスクエア駅-1

6月21日       6月16日の舞洲ゆり園・南港コスモスクエア駅-1
                   舞洲ゆり園へ花見に・・・
此の日は、家内が行かないと言うので1人で電車で行く事にした、弁天町駅
で地下鉄中央線に乗り換えて、終点の南港コスモスクエア駅、此処からバス
(北港観光)のコスモドリームライン(ロッジ舞洲迄行き帰る循環バス)が運行
されている@210円。ゆり園は、ロッジ舞洲で降りて徒歩3分のところに?
花見が終わって帰りに新夕陽の丘の公園散策、木陰で昼食を済ませて
帰りは、コースを桜島駅行きの市バスに乗ってユニバーサルシティー駅へ、
コスモスクエア駅
から撮る、舞洲の大坂市ゴミ処理施設&舞洲へ渡る橋
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新夕陽ヶ丘
昼食は此の公園でと考えながら・・・
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ゆり園の入園券@1200円は、JAF割引で@800円
ずーっと雨が降らないせいなのか?ゆり達も生気が無い?お疲れの様子・・・
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この3枚は続きもの?
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元に戻って
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此の続きは、
6月16日の舞洲ゆり園・コスモスクエア駅-2 として
       下記のメインブログへ詳細を投稿しました。
      http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-06-21
続きは、未だ未だ続くゆり園~
ゆり園&目休めに海上の船を・・・
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ゆり園を出て
新夕陽ヶ丘へ弁当を食べに・・・
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帰りは桜島駅行きのバスに乗って車窓から大阪市のゴミ処理施設?
人口島全体を緑で覆い、自然環境と共生することを目指した舞洲のシンボル
として、外装デザインを重視して建てられたゴミ処理施設
高層ビルや工業的な街並みを攻撃的であると考え、建築の合理主義を否定し
続けていたフンデルトヴァッサー氏が、自然環境との調和を重視し、エコロジー
技術と芸術の融和をテーマに建物をデザインした。
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※フンデルトヴァッサー(1928年12月15日 - 2000年2月19日)
自由な発想を持つ画家、フンデルトヴァッサーは絵画のほかにも、建築
デザインや商業デザインでもユニークな作品を残し、今も高い評価を得、
そして活用されています。オーストリアの芸術家、画家、建築家。
日本の風呂敷を「美しくて、無駄がない」として賞賛し、1997年に12種類
の風呂敷絵を描き、商品化している。

ユニバーサルシティ駅前で
降りて
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環状線西九条駅で大和路線に乗り換え
西九条駅ホームで見かけた、ど派手な電車
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6月14日の古戦場跡と公園散策・森ノ宮駅-1

6月18日        6月14日の古戦場跡と公園散策・森ノ宮駅-1
                JRふれあいハイキング 歩程約10㎞
此の日は知人と4人で参加、M吉さんK場さんS藤さんと田原の4人で昼飲み会迄。
コース JRふれあいハイキング 大阪・関西歩け歩け協会主催  参加費300円  
大阪城公園・森ノ宮噴水前 10時集合  此の日の参加者は132人
森ノ宮駅~徒歩5分~森ノ宮噴水前~(受付・集合)~大阪ビジネスパーク~鯰江
公園~城北川~八劔神社~鴫野古戦場跡~鴫野公園~森ノ宮駅(解散) 

ハイキングの4人は、湯処 あべの橋温泉で汗を流して昼飲み会に参加
6月14日・・・昼飲み会15:00~17:00 会費3000円9品&飲み放題 甘太郎で
 ・M吉さん・N西さん・Y田さん・R得さん・K場さん・A座さん・S藤さんと田原の8人
JR森ノ宮駅から
大坂城公園・森ノ宮噴水前へ、此処で4人揃う
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森ノ宮噴水で受付
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直ぐ近くの木陰で集合&スタート
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大坂城公園内を歩き大阪ビジネスパークへ向かう
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大阪ビジネスパーク
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鯰江公園へ向かう
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鯰江公園で小休止
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城北川へ向かう
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城北川沿いを歩いて
城北川
城北川は、昭和10年の城北運河の着工に始まります。当時、工業地域としては
舟運の便を著しく欠いているということで、区画整理とあわせて、この運河を開き
ました。城北運河の位置は、旭区(現都島区)友渕町淀川左岸より赤川町、中宮
町、野江町を経て森小路に至り南折し、今福町を経て放出町寝屋川右岸に至り
ます。寝屋川と旧淀川(大川)を結ぶ総延長5615m(城東区内2130m)、幅40m
という大規模なもので、昭和15年12月に完成しました。
昭和30年~40年代の高度成長期には、工場、家庭排水により、城北運河もドブ
川化しました。そこで、昭和41年度から城北運河の浄化作戦が始まります。第1
次改修として5ヶ年計画で鋼矢板護岸工事を行い、生活排水が流れ込まない様
沿岸の下水道敷設を併行しました。昭和42年度からは河岸公園と遊歩道整備工
事にも着手、昭和46年度からは満干潮時に大川口、寝屋川口の両水門操作も
開始され、きれいな淀川の水を導入し汚れた寝屋川の水が締め出されるように
なりました。 このような浄化作戦の成果として、昭和48年1月には城北運河の城
東地区で、フナやモロコ等の稚魚の生息が確認されています。
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此の続きは、
6月14日の古戦場跡と公園散策・森ノ宮駅-2 として
      下記のメインブログへ詳細を投稿します。
     http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、
八劔神社へ向かう~
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八劔神社
速素盞鳴命(はやすさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)・八頭大
神(やつがしらおおかみ)を祭神とした神社」とあります。宮座中で存在した伝説を
記録した社記によれば、応永の始、老人の夢に熱田神宮の神様が現れ、明日淀
川の辺りにいくから祀ってほしいというお告げがあった。翌朝里民十数人を招きこ
の事を語ると、同じ夢を見た人が多くいることを奇異に思い、衣服を改め川辺にい
くと、案の定、小さな蛇が川から上がってきた。一同は蛇についていくと川を越え
て当地に入った。依ってその留まった所に小祠を建ててこれを祀ったとあり、これ
を神社の起源とし、応永3(1356)年9月の事としています。
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境内に大楠公さんの石像
大相撲・朝日山部屋の14代朝日山四郎右衛門が中心になり建立?
14代朝日山四郎右衛門とは
大正7年1月春場所に、二瀬川を改めて朝日山四郎右衛門の名を襲名して活躍
したこの関取は、鴫野の米屋の息子でした。本名は井口惣三郎。明治21年2月
23日生まれ。入門時の四股名は鴫野森。大正8年春場所に大関に昇進しました。
大正9年にアメリカ巡業、大正10年に現役を引退後も、大正13年台湾巡業、大
正14年アメリカ巡業をしました。地元の人や郷土を愛し、地元の人からもとても
愛されていました。昭和18年、56歳で没。現在でも八劔(やつるぎ)神社に「奉納
十四代朝日山四郎右衛門、大正九年四月」と書かれた石柱と、朝日山の化粧ま
わしをつけた額が奉納されています。
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※今の城東区に昭和の初め頃あったという大阪国技館
1937年(昭和12年)に、旭区関目(現在の城東区古市)に竣工した大阪国技館(大
阪大国技館とも)については、同年に発刊された『大阪大場所大相撲写真帳-大
阪大国技館竣工記念-』という資料があります。表紙に描かれた絵からもわかる
様に、鉄筋コンクリート4階建ドーム式の相撲場で、収容人員は25,000人、と概
要に記されています。「当時、国技館を中心に商店街や住宅を整備し、新たなま
ちを作る計画がありましたが、昭和16年(1941)の太平洋戦争の勃発とともに、
立ち消えとなり、大阪国技館も、わずか4年間、7回の準本場所が開催されただ
けで役目を終え、昭和26年(1951)頃には解体されました」と紹介されています。
※「大楠公(だいなんこう)」
楠木 正成(くすのき まさしげ)とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての
武将。父は楠木正遠とされる。息子に正行、正時、正儀がいる。 後醍醐天皇を
奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に
天皇を助けた。尊氏の反抗後は新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一
翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。 明治以降は「大楠
公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。

鴫野古戦場跡
大坂冬の陣の鴫野・今福の合戦は城東区を主戦場としたもので、その碑が1920
年に現在の大阪市立城東小学校(城東区鴫野東3丁目16-14)の校庭に建てられ、
今も残っています。
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鴫野公園で小休止の後
森ノ宮駅へ向かう
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森ノ宮駅~天王寺駅へでて
ハイキングの4人は、湯処 あべの橋温泉で汗を流して待ち合わせ場所で合流、
8人で昼飲み会15:00~17:00 会費3000円 9品&飲み放題 居酒屋甘太郎
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6月11日の馬見丘陵公園・紫陽花等々-1

6月17日        6月11日の馬見丘陵公園・紫陽花等々-1
                菖蒲祭りに菖蒲以外の紫陽花等々
6月10日~12日は、馬見丘陵公園の菖蒲祭りが開催されていました。
此の日11日は、開園時間前に家内と一緒に菖蒲祭り?の菖蒲を見に行った。
菖蒲に菖蒲園周辺と紫陽花等も見て廻ったので・・・
菖蒲園周辺の菖蒲以外について
クレマチス&シモツケ&キンシバイ
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古墳の丘
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下池
亀達も日向ぼっこ
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アメリカデイゴ
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ビヨウヤナギ
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タンポポ&コクチナシ
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紫陽花園&睡蓮池
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此の続きは、
6月11日の馬見丘陵公園・紫陽花等々-2 として
       下記のメインブログへ詳細を投稿します。
      http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、紫陽花~
紫陽花
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ナガレ山古墳
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ウッドデッキへ
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上池
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梅林には梅の実が
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倉塚古墳
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一本松古墳
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下池
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中央公園館へ
流れの有る坂道
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6月11日の馬見丘陵公園・菖蒲園ダイジェスト

6月16日        6月11日の馬見丘陵公園・菖蒲園ダイジェスト
                   菖蒲祭り・・・
6月10日~12日は、馬見丘陵公園の菖蒲祭りが開催されていました。
此の日11日は、開園時間前に家内と一緒に菖蒲祭り?の菖蒲を見に行った。
6月10日~12日の菖蒲祭りは、100品種3万本との歌い文句で開催されていた。
6月11日の菖蒲園
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此処までは、6月11日の馬身丘陵公園・菖蒲園ダイジェストです。
   ・詳細編については、下記のメインブログへ詳細を投稿します。
     http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/ 

6月10の花めぐり大阪の”ジャカランダ”・弁天町駅-1

6月15日       6月10日の花めぐり大阪の”ジャカランダ”・弁天町駅-1  
                JRふれあいハイキング 歩程約13km
此の日は1人で参加、日陰に入ると涼しくて、日向を歩くのが気持ち良い日だった。 
コース 大阪府歩け歩け協会主催 弁天町駅北口 波除公園(集合) 参加費500円
弁天町駅~波除公園(集合・スタート)~八幡屋公園ジャカランダ~甚兵衛渡船場~
泉尾浜公園~千島公園~落合上渡船場~北津守公園~一心寺ジャカランダ~天王
寺駅(ゴール)   参加者320人と多く、渡船(定員48人)には待ち時間が長かった。
八幡屋公園のジャカランダは未だ咲き初め?数本にチラホラ、一心寺のジャカランダ
は外の道路から、此方も未だ花が少なかった、千島公園のデイゴは綺麗に咲いてた。
志都美駅
和歌山線の古い電車が入って来た
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波除公園
主催の大阪府歩け歩け協会の朝礼
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波除公園をスタート
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八幡屋公園へ向かう
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八幡屋公園
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八幡屋公園のジャカランダ
数本の木にチラホラ咲き
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八幡屋公園で小休止
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甚兵衛渡船場へ向かう
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甚兵衛渡船場
定員48人だから7往復?
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甚兵衛渡船場から千島公園へ向かう
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千島公園(昼食休憩)
デイゴ
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此の続きは、
6月10の花めぐり大阪の”ジャカランダ”・弁天町駅-2 として
        下記のメインブログへ詳細を投稿します。
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続きは、千島公園の後半から
デイゴ
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千島公園をスタート、公園内を通る
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落合上渡船場へ向かう
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落合上渡船場
此処も定員48人だから7往復
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北津守公園で全員を待って
一心寺へ向かってスタート
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新世界?
一心寺へ向かう
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一心寺のジャカランダ
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茶臼山公園(ゴール)
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堀越神社
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あべのハルカス
天王寺駅へ向かう  
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王子駅へ戻り、バスに乗って
自宅の近く、高速道路の裏道
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自宅の鉢植えのアマリリスが咲いた
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6月4日~10日の諸々-ダイジェスト

6月13日         6月4日~10日の諸々-ダイジェスト
                6月4日は町内会の大掃除
6月4日・・・午後の馬見丘陵公園散歩
  大掃除を済ませて午後から馬見丘陵公園へ散歩に出かけた
北エリア駐車場へ車を入れて
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アメリカデイゴ&栗、菖蒲園
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下池
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乙女山古墳
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北エリアへ戻る
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6月7日・・・奈良医大付属病院眼科へ検査を受けに
  病院の帰りに今井町の入口、蘇武橋のたもと迄行ってみた
志都美駅
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病院の帰りに八木西口駅へむかう
飛鳥川
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蘇武橋&今井町の案内
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八木西口駅
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6月9日・・・社友会事務所(PC教室)へ
  PC教室1/3回目受講、2回目6月23日、3回目7月7日
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6月10日・・・我が家の2Fベランダのアマリリス開花
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6月4日~10日の諸々-詳細については、
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6月3日の古の雅と季節あふれる奈良公園を歩く-1

6月13日     6月3日の古の雅と季節あふれる奈良公園を歩く-1
              JRふれあいハイキング 歩程約5km
知人と2人で参加、参加者20人で2班(10人づつ)に分かれてボランティアガイド
説明付きハイキング、爽やかな風の中を気持ち良く歩く事が出来てとても良かった。
なら観光ボランティアガイドの会の皆さん、有難う御座いました、次回もお願いします。
コース JRふれあいハイキング JR奈良駅 奈良市総合観光案内所前集合
JR奈良駅~奈良市総合観光案内所前~平城京跡への碑~開化天皇陵~浄教寺
~奈良県里程元標~高札~采女神社~猿沢池~興福寺・南円堂・額塚・国宝館・
五重塔~春日神社一の鳥居~影向の松~国立博物館(旧館)~氷室神社~浮雲
園地~手向山八幡宮・校倉造~三月堂~四月堂~二月堂~若狭井大湯屋~講堂
跡~正倉院前~大仏池~大仏殿前(解散)~鏡池~片岡梅林(昼食)・円窓亭~浮
見堂~十三鐘~北円堂~三重搭~近鉄奈良駅~JR奈良駅
奈良市総合観光センター(旧奈良駅駅舎)
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平城京跡への碑・・・棚田嘉十郎が建立、建立した場所からは移転されてる。
奈良公園の植木職人「棚田嘉十郎」は1906年に自ら発起人となり「平城宮阯保存
会」を組織したほか、1912年3月には当時の国鉄奈良駅前に大極殿跡への道標を
建立した。
棚田 嘉十郎(たなだ かじゅうろう、1860年5月21日(万延元年4月5日) - 1921年
(大正10年)8月16日)は日本の奈良の植木職人。文化財保護運動家。明治時代
から大正時代にかけて奈良県・平城宮の保存活動を行った。平城京跡に銅像有り。
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開化天皇陵
開化天皇(かいかてんのう、孝元天皇7年 - 開化天皇60年4月9日)は、日本の
第9代天皇(在位:孝元天皇57年11月12日 - 開化天皇60年4月9日)。
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浄教寺
淨教寺(じょうきょうじ)は、奈良県奈良市上三條町にある浄土真宗本願寺派の
寺院である。山号は九条山。本尊は阿弥陀如来立像。
巨大ソテツが有る、根株の周囲6.5メートル。1本の株から25本もの幹が出ている
珍しいもの。樹齢約250年~300年。
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南都銀行本店ビル
本店の建物は、大正15年4月、奈良郵便電信局跡地に旧六十八銀行の奈良支店
として竣工されたものです。旧六十八銀行は国立銀行で南都銀行の前身である4つ
の銀行のうちの1行です。
設計監理は東京在住の工学博士で建築士の長野宇平治氏、施工は大林組でした。
外壁には岡山産の花崗岩と褐色の煉瓦を使用し、構造は鉄筋コンクリート造の3階
建(一部4階建)地下1階の建物で、奈良唯一の壮麗な外観のギリシア様式建築でし
た。奈良県内では貴重な洋風近代建築の事例であり、平成9年に国の登録有形文
化財となりました。当時の建物としては、アメリカ製金庫扉、窓口シャッター、消火栓、
温水暖房、天井扇など近代的設備が随所に施されており、総工事費は関係費用を
含めると当時の金額で52万3,000円という巨費を投じたようです。
このギリシア様式の古典的な建造物のなかで、とりわけ目を引くのが正面のイオニア
式円柱に施された「羊」の彫刻ですが、これは設計者の長野氏と懇意だった東京美術
学校教授の水谷鉄也氏の作品です。「羊」の由来には諸説あるようですが、古代ヨー
ロッパにおいて民に多くの富をもたらした家畜を金融機関のシンボルとして採用したの
ではないかという説が有力です。なお、この「羊」の彫刻は建物東側壁面の装飾にも用
いられています。
昭和3年8月、旧六十八銀行は奈良支店を新本店とし、その後同9年6月、他3行との合
併により「南都銀行」が誕生しましたが、以降「南都銀行 本店」として現在もその機能を
果たしています。
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奈良県里程元標・高札
道路元標は道路の起点や終点などを示すため1919年、市町村に1基ずつ設置。
里程元標は1873年、距離を測る起点として府県に各1基置かれ、奈良には京都、
大阪、伊勢への起点の橋本町に1888年、設置されたが、木製のため台石だけが
残ってた。里程元標は1辺30cm、高さ3mの吉野産のヒノキ製。元の場所から東
20mの三条通り沿いの、1984年に復元された「御高札場」に建てられた。
高札とは、禁制や法令などを民衆に伝えるために街頭高く掲示した板札で、古代
から明治の初め頃まであったようです。
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采女神社
猿沢池のほとりにある、春日大社の末社。昔、帝の寵愛が薄れたことを嘆き悲しん
だ采女が猿沢池に身を投げたため、その霊をなぐさめる為に建てられたという伝説
が残されています。又、釆女神社の鳥居が東にあるのに、社殿が西向きなのは、
釆女の霊が池を見るのが辛いからだという伝説も有ります。
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猿沢池
奈良八景の一つに数えられる猿沢池は、周囲360m、池畔の枝垂れ柳越しに望む
興福寺五重塔は昔も今も変わらぬ絵はがきの画題になる名勝である。池には、毎
年4月17日の興福寺の放生会に鯉が放たれる。最近はカメの名所としても知られ
るようになったが、岸に立てばカメと共に緋鯉、真鯉がエサを求めて寄ってきて観光
客を楽しませる。猿沢池の俗謡に、「澄まず濁らず、出ず入らず、蛙湧かず藻が生え
ず、魚七分に水三分」の七不思議があるが、奈良公園の鹿と同じように池の生物は
興福寺のおかげで手厚く保護され、「魚七分に水三分」というのも大いに理由がある。
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興福寺・南円堂・額塚・国宝館・五重塔
南円堂
西国三十三所観音霊場の第九番札所です。
弘仁4年(813)に藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父内麻呂(うちまろ)の冥福を願ってお建てに
なった八角円堂です。基壇(きだん)築造の際に地神を鎮めるために、和同開珎(わど
うかいちん)や隆平永宝(りゅうへいえいほう)をまきながら築き上げたことが発掘調査
であきらかになりました。この儀式には弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)が深く係
わったことが伝えられます。
興福寺は藤原氏の氏寺でしたが、藤原氏の中でも摂関家北家の力が強くなり、その祖
である内麻呂・冬嗣親子ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めます。そ
のうえ本尊不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)像が身にまとう鹿皮は、氏神春
日社(かすがしゃ)との関係から、特に藤原氏の信仰を集めました。創建以来4度目の
建物で、寛政元年(1789)頃に再建されました。八角の一面は6.4m、対面径は15.5m、
本瓦(ほんがわら)葺きの建物ですが、その手法はきわめて古様です。
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額塚
興福寺には山号がありません。
南都七大寺には不思議と山号がない為今まで気にも留めていなかったのですが、興福
寺にはそれなりの理由がある様です。比叡山延暦寺や高野山金剛峰寺などに見られる
山号はよく知られるところです。奈良の興福寺にも月輪山(がつりんざん)という山号が
付けられていたようです。そして、その山号額が埋められている場所が茶臼山と呼ばれ
る額塚です。額塚のある場所は興福寺不動堂の南側です。
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東金堂
中金堂(ちゅうこんどう)の東にある金堂で、西向きの建物です。神亀3年(726)に聖武
(しょうむ)天皇が叔母元正(げんしょう)太上天皇の病気全快を願ってお建てになりまし
た。創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ、薬師如来(やくしにょらい)の浄瑠璃光(じ
ょうるりこう)世界がこの世にあらわされていました。以来6度の被災、再建を繰り返し、
今の建物は応永22年(1415)に再建されました。正面7間(25.6m)、側面4間(14.
1m)、寄棟(よせむね)造り、本瓦(ほんがわら)葺きの建物で、前面を吹放(ふきはな
し)とし、木割(きわり)が太く、奈良時代の雰囲気を伝えます。
堂内には本尊薬師如来(やくしにょらい)像、日光(にっこう)・月光菩薩(がっこうぼさつ)
像(以上いずれも重要文化財)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像と維摩居士(ゆいまこじ)像、
四天王(してんのう)像、十二神将(じゅうにしんしょう)像(以上いずれも国宝)が安置され
ます。
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五重搭
古都奈良を象徴する塔です。塔は仏教の祖釈迦の舎利(しゃり)(遺骨)をおさめる墓標
です。天平2年(730)に興福寺の創建者藤原不比等(ふひと)の娘光明(こうみょう)皇后
がお建てになりました。初層の東に薬師浄土変(やくしじょうどへん)、南に釈迦浄土変
(しゃかじょうどへん)、西に阿弥陀浄土変(あみだじょうどへん)、北に弥勒浄土変(みろく
じょうどへん)を安置し、また各層に水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経(くじょうこうだらにきょ
う)を安置していたと伝えられます。その後5回の被災・再建をへて、応永33年(1426)頃
に再建されました。高さ50.1m、初層は方三間で8.7m、本瓦(ほんがわら)葺きの塔で
す。軒の出が深く、奈良時代の特徴を随所に残していますが、中世的で豪快な手法も大
胆に取り入れた、大変に力強い塔です。初層の四方には、創建当初の伝統を受け継ぐ薬
師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像を安置します。
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春日大社一の鳥居・影向の松
一の鳥居
平安後期に創建されたといわれ、現在のものは、寛永11年(1638年)に再建された
ものである。今では市街地のメインストリートの三条通との境界に当たるが、 古くは
春日大社と興福寺旧境内との境に立つ高さ6.75mの大鳥居です。
3月の春日祭や12月の春日若宮おん祭の際には大きな榊が立てられています。
今次、平成27・28年 春日大社第六十次式年造替. (20年に一度執り行われる社殿
の修築大事業). *平成27年 3月27日 仮殿遷座祭(下遷宮)執行 *平成28年11月
6日 本殿遷座祭(正遷宮)執行。
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※影向の松(ようごうのまつ)
春日大社一の鳥居をくぐってすぐの、参道右側に生育しているクロマツである。延慶2年
(1309年)の春日権現験記にも記された古い巨木であったが、1995年(平成7年)に枯れ
たため、現在は巨大な切り株の横に後継樹の若木が植えられている。
この地は昔、春日大明神が翁の姿で降臨され、万歳楽を舞われた地とされる。教訓抄に
よると、松は特に芸能の神の依代(よりしろ)であり、この影向の松は能舞台の鏡板に描
かれている老松の絵のルーツとされている。

国立博物館(本館)
展示施設は本館、本館付属棟、東新館、西新館、地下回廊がある。このうち本館は、赤坂
離宮(迎賓館)などを手がけた宮廷建築家・片山東熊の設計により1894年(明治27年)竣
工したもので、明治期の洋風建築の代表例として重要文化財に指定されている。
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氷室神社
奈良時代、春日奥山に造られた氷室(氷の貯蔵庫)に氷の神(闘鶏稲置大山主命・大鷦鷯
命・額田大仲彦命)を祀ったのが始まりとされ、のちに現在地に移築されました。大阪氷卸
協同組合など製氷業者の信仰が篤く、神前にタイやコイ(本物です!)を封じ込めた高さ
1mの氷柱が奉納される「献氷祭(5月1日)」は大変有名です。
氷室神社のしだれ桜は「奈良一番桜」と呼ばれ、奈良で最も早く開花する桜であると言われ
ています。氷室神社の桜の開花を追うように、あちこちで桜が開花していくそうで、いわば古
都の春の始まりを告げる大変縁起の良い桜なのです。
境内には何本かしだれ桜がありますが、最も迫力のあるものは、「四脚門」と呼ばれる門前
に建つ一本です。こちらは樹齢約100年。
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浮雲園地
奈良公園の中心部にあります。大仏殿交差点と奈良春日野国際フォーラム 甍の間
をゆったりと歩ける園路があります。
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手向山八幡宮・校倉造
手向山八幡宮
東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、すぐ北には東大寺法華堂(三月
堂)がある。
天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大
寺の守護神として勧請された。八幡宮からの分社では第一号である。当初は平城宮
南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが、治承4年
(1180年)の平重衡による戦火で焼失、建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再
建した。当初の鎮座地とされる梨原宮の所在地は未詳だが、奈良市役所近くにある
平城京左京三条二坊庭園跡庭園がその跡ともいわれる。
創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に東大寺
から独立した。
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校倉
手向山八幡宮南側に建つ手向山八幡神輿庫。
法華堂(三月堂)法華堂経庫(重文)です。2棟とも天平時代に建てられたものです。
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此の続きは、
6月3日の古の雅と季節あふれる奈良公園を歩く-2 として
       下記のメインブログへ詳細を投稿しました。
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続きは、三月堂(法華堂)~
三月堂(法華堂)
東大寺建築のなかで最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺(きんしょ
うじ)の遺構とされる。752(天平勝宝4)の東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)に
は「羂索堂(けんさくどう)」とあり、不空羂索観音を本尊として祀るためのお堂である。
旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれ
るようになった。
もとは寄棟(よせむね)造りの正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)が軒を接して建つ配置
であったが、鎌倉時代、礼堂を入母屋(いりもや)造りに改築して2棟をつないだ。正堂
は天平初期の建築だが、礼堂は大仏様(だいぶつよう)の特色が見られる鎌倉時代の
建築。時代の異なる建築が高い技術によって結ばれ、調和の取れた美しい姿を見せる。
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四月堂
東大寺の三昧堂は、「法華三昧会」が旧暦の4月に行われるため、一般に四月堂と
呼ばれている。創建は、1021年(治安3年)あるいは1067年(治暦3年)といわれ、
現在の建物は、1681年(延宝9年)の墨書銘がある。
本尊千手観音(重要文化財)や阿弥陀如来像(重要文化財)が安置されている。
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二月堂
旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡
の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火には焼け残ったが、寛
文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の
建物である。本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の
十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。建物は200
5年12月、国宝に指定された。
魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が二月堂のほとりに
清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという、「お水取り」。
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若狭井
「お水取り」の井戸は閼伽井屋という建物の中にあり、当役の者以外は誰も入ることも
うかがうことも出来ない。行列が閼伽井屋に到着すると咒師、堂童子等が中に入り水
を汲む。これが二荷ずつ、閼伽井屋と二月堂の間を三往復して、お香水が内陣に納め
られる。「お水取り」が終わると閼伽井屋に下っていた練行衆等は再び行列を組んで
二月堂へ戻り、中断していた後夜の「時」が再開される。
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大湯屋(おおゆや)
寺院の風呂場です。奈良時代から設けられていたのですが、文献での初見は平安時
代に降ります。その後数回の被災・再建を経て、室町時代に再建されたのが現在の建
物で、五重塔再建と同じ時期-すなわち応永33年(1426)頃と考えられます。
正面4間(11.7m)、側面4間(10.6m)、本瓦(ほんがわら)葺きの建物で、西面の
屋根は入母屋(いりもや)、東面の屋根は切妻(きりづま)ですので、東側になんらかの
建物があり、この大湯屋で湯を沸かし、東の建物に湯を送って蒸し風呂にしたり、ある
いは入浴したりしたと思われます。
内部に床を敷かず、地面に直接鉄の湯釜を2個据えています。南の湯釜はほぼ完形で、
口径1.5m、胴径1.86m、高さ1.27mで鎌倉時代、北の湯釜は口縁の部分しか残ら
ないのですが、口径1.44mで平安時代のものです。
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講堂跡
東大寺講堂跡は、大仏殿の裏手にある芝生の広場。その昔、ここには大きな「講堂」が
建っていてた。今は講堂の礎石(そせき)だけが残っていて、絶好のお弁当スポットです。
東大寺といえば、奈良でも一番人気の観光スポット。でも、観光客でごったがえしている
のは大仏殿くらいまでで、広い境内には意外と静かなエリアもあります。講堂跡もそのひ
とつ。周辺を通る人もまばらで、講堂跡に寄る人はもっと少ないし、そのなかでも、ここが
「講堂跡」というところだと知っている人は、ほとんどいないんじゃないでしょうか。
芝生が広がっているノビノビした広場には、柱が立っていた礎石が並んでいて、ベンチ代
わりにちょうどいい感じ。ちょっと休憩したり、お弁当を広げたり、観光をサボって昼寝した
りするのにおすすめのスポットです。たまにシカが通ったりしますが、講堂跡あたりにいる
シカは、お弁当を狙って取り囲んだりしないようです。夏のサルスベリや秋の紅葉なども
楽しめます。講堂は、昔のお寺の重要な建物のひとつで、お経の講義や説法が行われる
所。何千人ものお坊さんが勉強にはげんでいたところで、今でいえば大学でしょうか。東大
寺は日本のお寺の中心として建てられただけあって、東大寺の講堂は「日本の最高学府」。
そんな重要だった建物も、何度も火事にあって、戦国時代の火事で焼けたあとは建てなお
されませんでした。
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正倉院前
正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北北西に位置する、
校倉造(あぜくらづくり)の大規模な高床式倉庫。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品
をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、
1997年(平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に「古都奈良の文化
財」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
元は東大寺の正倉(倉庫)だったが、1875年(明治8年)3月10日、収蔵されていた
宝物の重要性に鑑み、東大寺から内務省の管理下に置かれた。1881年(明治14
年)4月7日、農商務省の設置に伴い、内務省博物局が農商務省へ移管され、18
84年(明治17年)5月に宮内省所管となった。1908年(明治41年)4月、正倉院は帝
室博物館の主管となり、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)5月3日に宮内
府図書寮の主管となった。現在は宮内庁の施設等機関である正倉院事務所が管
理している。
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大仏池・・・此の日は、改修工事中で水が抜き取られていた
東大寺大仏殿を借景に各種大木が茂り、背景には春日山、若草山、御蓋山が
稜線を並べ、前景となる池の水面に反転させている。
ライトアップされた偉大な大仏殿とそれを映し出す水鏡が美しい。
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大仏殿前(解散)
創建から2度にわたって焼失、鎌倉と江戸時代に再建された。江戸期には柱とする
材が調達できず、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。そ
のため、創建時に11間(けん、86m)あったが7間(57m)となった。現在でも世界最
大級の木造建築であるが、往時の壮大さがうかがえる。毎年、大晦日から元旦に正
面唐破風(からはふ)下の観相窓が開かれ、大仏尊像のお顔を外から拝しながら新
年を迎えることができる。
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鏡池
東大寺大仏殿と南大門の間にあり、水面に映る中門と大仏殿の景色が美しい。
池の中に柄付きの鏡のような形をした島があることが名前の由来という。島に
は弁財天が祭られている。
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片岡梅林(昼食)・円窓亭
円窓亭は、もと春日大社経庫を改造したもの(鎌倉時代)。周りには梅が植え
られ片岡梅林という。阪を下ると浮見堂がある。奈良公園の早春の装いはま
ずこのあたりの清楚な梅の香りから始まる。
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浮見堂
浮見堂(うきみどう)は、奈良公園の鷺池(さぎいけ)に浮かぶ六角形のお堂です。
浮見堂は、 奈良公園の浅茅ケ原園地(あさじがはらえんち)内にあります。
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十三鐘(菩提院大御堂)
奈良市民に、十三鐘(じゅうさんがね)、また稚児観音(ちごかんのん)や三作石子
詰(さんさくいしこづめ)の伝承で、よく知られています。奈良時代には、この付近一
帯は仏に供える四季の花が植えられていました。また興福寺の法相宗(ほっそう
しゅう)を中国から伝えた玄昉(げんぼう)僧正が住んでいたとも伝えます。
発掘調査の結果、このように大きな建物が建てられたのは鎌倉時代に入ってから
のことであることがあきらかになりました。現在の建物は天正8年(1580)の再建で、
正面5間(17m)側面5間(14.2m)、本瓦(ほんかわら)葺きで、正面に向拝(ご
はい)がつきます。庭にヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)が有り綺麗な花をさかせる。
堂内には本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)像(重要文化財)、不空羂索観音菩薩
(ふくうけんさくかんのんぼさつ)像、稚児観音菩薩(ちごかんのんぼさつ)像を安置
しています。
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北円堂
日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと賞賛されるこの堂は、興福寺創建
者藤原不比等の一周忌にあたる養老5年(721)8月に、元明(げんめい)太上天
皇と元正(げんしょう)天皇がお建てになりました。
伽藍(がらん)の中では西隅に位置しますが、ここは平城京を一望の下に見渡す
ことのできる一等地で、平城京造営の推進者であった不比等(ふひと)の霊をなぐ
さめる最良の場所です。治承4年(1180)の被災後、承元4年(1210)頃に再建さ
れました。八角の一面は4.9m、対面径は11.7m、本瓦(ほんがわら)葺きの
建物です。華麗で力強く、鎌倉時代の建物であるにもかかわらず、奈良時代創建
当初の姿をよく残しています。内陣(ないじん)は天蓋(てんがい)が輝き、組物間
の小壁には笈形(おいがた)が彩色されています。
堂内には本尊弥勒如来(みろくにょらい)像(国宝)、法苑林(ほうおんりん)・大妙
相菩薩(だいみょうそうぼさつ)像、無著(むじゃく)・世親菩薩(せしんぼさつ)像
(国宝)、四天王(してんのう)像(国宝)が安置されます。
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三重
康治2年(1143)に崇徳(すとく)天皇の中宮(ちゅうぐう)が創建されましたが、治承
4年(1180)に被災し、間もなく再建されました。
北円堂(ほくえんどう)とともに興福寺最古の建物で、高さ19.1m、初層は方三間
で4.8m、本瓦(ほんがわら)葺き。
鎌倉時代の建物ですが、木割が細く軽やかで優美な線をかもし出し、平安時代の
建築様式を伝えます。初層内部の四天柱(してんばしら)をⅩ状に結ぶ板の東に薬
師如来(やくしにょらい)像、南に釈迦如来(しゃかにょらい)像、西に阿弥陀如来
(あみだにょらい)像、北に弥勒如来(みろくにょらい)像を各千体描き、さらに四天
柱や長押(なげし)、外陣(げじん)の柱や扉、板壁には宝相華(ほうそうげ)文や
楼閣(ろうかく)、仏や菩薩(ぼさつ)など浄土の景色、あるいは人物などを描いて
います。東の須弥壇(しゅみだん)に弁才天(べんざいてん)像と十五童子像を安
置し、毎年7月7日に弁才天供が行われます。
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奈良の三条通沿いに祀られる手力雄社・・・高札の直ぐ横上
天岩戸(あまのいわと)神話で活躍した神様。
天照大神が天の岩屋戸に引き籠り、世界が真っ暗になってしまったというお話。
困った神々が相談して、アメノウズメが胸もお腹も露わに踊り出すことになります。
八百万の神々の笑いに誘われてそっと外の様子をうかがった天照大神を、その
怪力で引っ張り出したのが天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)です。
手力雄神社(たぢからおじんじゃ)は春日大社の境外末社の位置付けです。春日
大社には計61社の摂末社がありますが、その内の一つが橋本町に鎮座する手
力雄神社なのです。
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近鉄奈良駅・行基菩薩像
昭和45年(1970年)に近鉄奈良駅再開発事業の完成を記念して、東大寺大仏殿に
向かって立つ行基菩薩をモチーフに奈良の伝統的な焼き物の赤膚焼きでつくられ
ました。途中、心ない者の手で破壊されましたが、平成7年(1995年)にブロンズ像
で復元されました。地元では、行基の立つ広場は「行基広場」と呼ばれ、待ち合わ
せの場所として親しまれています。
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JR奈良駅へ

6月2日の馬見丘陵公園・ダイジェスト編

6月10日        6月2日の馬見丘陵公園・ダイジェスト
                 菖蒲園の様子見に・・・
6月10日~12日が菖蒲祭り、100品種3万本との歌い文句で開催される。
6月2日の菖蒲園
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下池
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ムクロジ
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アメリカデイゴ
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バラ園
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ベニバナトチノ木の実
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ビヨウヤナギ
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シモツケ
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6月2日の馬見丘陵公園
・詳細編については下記のメインブログへ投稿しました。
     http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-06-10-1

5月17日~30日の奄美大島・加計呂麻島-3

6月8日        5月17日~30日の奄美大島・加計呂麻島-3
今回の奄美行は、今年3月から就航した関西~奄美へ初LCCのバニラエアーで
関西空港~奄美空港への1時間40分のフライト、台風の前に生家の手入れと先
祖の墓参り、幼馴染、級友、旧友、親戚の叔父叔母との語れ?諸々の所用も・・・
5月17日
志都美駅~新今宮駅~関西空港~奄美空港~奄美市・名瀬・浦上・・・
南海新今宮駅
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関西空港
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此れが今回乗る飛行機だ・・・
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奄美空港
奄美空港に到着
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バスで市街地へ、空港~浦上迄@930円
奄美市・名瀬・浦上・・・デイゴの花がお出迎え?17日は叔母の家に1泊
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5月18日・・・叔母の車を約10日間借りて故郷の生家へ向かう
奄美市・名瀬・浦上~瀬戸内町・嘉鉄~瀬戸内町・古仁屋港
叔母の家から早朝散歩
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小学校の校庭の片隅に大坂ナンバー?の船が置いてある
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此処から散歩の帰り道・・・
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立派なガジュマルの木
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浦上川の川沿いに
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パパイアがたわわに実ってる
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今は無き工業高校の学生寮、使われていない?・・・
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此処までは、
5月17日~30日の奄美大島・加計呂麻島-1 として
下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
      http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-06-06-2
此の続きは、
5月17日~30日の奄美大島・加計呂麻島-2 として
下記のメインブログへ詳細を投稿済みです。
      http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-06-06
続きは、買い物を済ませて
南大島の瀬戸内町古仁屋港へ向かう、車で約1時間だだ少し寄り道して
嘉鉄集落を通るルートで
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反対側のマネン崎
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古仁屋港に到着
修理は終わったが未だ使われていない「フエリーかけろま」
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養殖マグロ産地瀬戸内町、養殖マグロ日本一の町
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5月19日・・・古仁屋港~「フェリーかけろま」で瀬相港へ@3130円
瀬戸内町・古仁屋港~加計呂麻島・瀬戸内町・瀬相港~伊子茂・かけろま園~芝
古仁屋で早朝散歩
現在運航中の旧「フエリーかけろま」がAコープ横に停泊中
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従来のフエリー埠頭(修理中で未だ使えない)と
新「フェリーかけろま」フェリーは修理済だが旧フェリー埠頭には入れない
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海の駅
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昨夜泊まったホテル
ビジネスホテル・プラザ瀬戸内
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今日は此れで加計呂麻島へ渡る・旧「フエリーかけろま」@3130円
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介護老人ホーム「かけろま園」に寄って入園している親戚のおばあさんに
面会してから車で約30分、加計呂麻島の東端の芝集落の生家へ向かった・・・
此処までは、
5月17日~30日の奄美大島・加計呂麻島-2 として詳細を投稿しました。
      http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-06-06
此の続きは、
5月17日~30日の奄美大島・加計呂麻島-3 として此処へ詳細を投稿します。
続きは、加計呂麻島の生家・・・
生家に着いたら
先ずは今夜から宿泊出来る様に大掃除を・・・
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5月20日・奄美大島・加計呂麻島・瀬戸内町・芝で一夜明けて 
第一の目的・先祖の墓参り
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5月21日・奄美大島・加計呂麻島・瀬戸内町・芝
早朝散歩・・・アダンの実が熟れて、オオイタビ(キッチャプ)も間もなく食べ頃?
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5月22日・加計呂麻島・瀬戸内町・芝
早朝散歩・・・
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5月23日・加計呂麻島・瀬戸内町・芝・・・買い出しに古仁屋港へ
早朝散歩・・・
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瀬相港・・・タカラ貝のオブジェ
瀬相港に車を置いて古仁屋へ買い出しに「フェリーかけろま」に乗る@360円
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古仁屋港へ到着、暫く級友を待ち土産を手渡して再会を・・・
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加計呂麻島に戻り夜食は幼馴染の知人の家で・・・
知人の奥さんのお友達が広島から来島していて深夜まで大盛り上がり
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5月24日~5月27日も・奄美大島・加計呂麻島・瀬戸内町・芝ですごす
5月24日の早朝散歩・・・1匹釣れました
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1匹釣れた、近所のおばさんの味噌汁の具に・・・
サーフでの写真と持ち帰っての写真
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5月25日の早朝散歩
今朝も1匹
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生家の草取りも終わって今回はブルーシートで処理
草が生えない様に、従弟が貰って来たブルーシートで庭を覆ってみた・・・
ブルーシートはマグロ養殖場で働く従弟が漁網が梱包されて来る廃棄品を
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畑を見に行って帰りに奄美市に越した従弟の家の庭も見て来た
クチナシが咲いていた、知人の畑、奄美市に越した従弟の家の池
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5月26日
早朝の海岸、砂浜散歩、今日はヤガラに2回切られて釣果なし・・・
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従弟の家で3時のお茶を飲んで
奄美の市場に並んだ魚100種のポスターを写真?海岸砂浜散歩に
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此の続きは、
5月17日~30日の奄美大島・加計呂麻島-4 として
下記のメインブログへ詳細を投稿します。
         http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、5月27日~
早朝の海岸砂浜散歩・・・
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今日も良い天気に?
庭を覆ったブルーシートに更に砂利を追加して・・・
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5月28日・・・今日は加計麻島を離れる
加計呂麻島・瀬相港~フエリーで古仁屋港へ・今夜は古仁屋で1泊
早朝、家の庭から空を2枚
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海岸迄の道のり
珊瑚の石垣も有る
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早朝海岸砂浜散歩
サーフでの釣り、釣果は1匹でした・・・
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家に戻って
大きな葉っぱのポトス
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午後
レトルトカレーにもお世話になりました・・・
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瀬相港へ出て「フエリーかけろま」で古仁屋港へ@3130円
加計呂麻島の「いっちゃむん市場」(良いもの市場)
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古仁屋港・コーラル橋のデイゴ並木~
古仁屋港で旧友、同窓と食事&カラオケ
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5月29日・・・瀬戸内町・古仁屋~奄美市・名瀬・浦上へ
古仁屋でガス会社への支払いを済ませて奄美市へ、約1時間かかる・・・
年期の入った給湯器が壊れて新品交換(85000円)+ガス代を出費
・名瀬・大熊漁港のカツオのぼり(キハダマグロ&カツオ刺身有りの目印)
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午後、軽石探しに?
ビッグⅡで軽石購入したがその足で倉崎海岸へ・・・軽石はなかった
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5月30日・名瀬・浦上~奄美市・笠利・奄美空港へ秋名回りで・・・
大熊漁港の宝勢丸
昼前に土産物(カツオの尾の身の竜田揚げ?)を買いに
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カツオの尾の身の竜田揚げ?3本で満腹・・・
写真では良く判りませんが鶏の手羽元の唐揚げ風?
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奄美空港~大阪・関西空港へ16時5分に到着。

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